2018.05.26 島根県出雲市 雲州平田 木綿街道

木綿街道
平田本町に隣接した平田船川運河沿いに残る古い町並みは 古くは「松江杵築往還」と呼ばれていた古道の一部で
かつては松江から出雲大社への参詣道として賑わった 戦国時代にはすでに「町割り」がなされ
雲州平田の原型が出来上がった 江戸時代に入ると 宍道湖と平田船川運河の水上流通経路を利用した
物資の集散地として繁栄した 松江藩では 18世紀初頭から財政改革の一環として 綿花栽培と綿織物の
品質向上をすすめ 18世紀末には 出雲平野で栽培され雲州平田を集散地とする高品質な木綿製品は
上方で「雲州平田木綿」と重宝された 江戸時代後期に平田は木綿関連の商人を中心とした全盛時代を迎えた
明治以降は生糸に転換し 紡績工場ができて工業都市へと発展し 人口も増え町も拡大した
宍道湖に繋がる「雲州平田船川」には多くの帆船が往来し 昭和26年頃までは松江との定期船便もあった
今でも「小路」や「かけだし」(荷揚場)などに往時を偲ぶことができ 通り沿いには 間口が狭く奥行の長い
切妻妻入塗家造りの商家や白壁の土蔵が並び 一見質素に見える外観であるが
材木や塗り・襖絵・内装などに贅を尽くした家屋が 当時の豊かさを物語っている
「木綿街道」という名前は 昭和50年代に平田のなかでも繁栄の中心だった本町エリアが再開発区域に組み込まれ
昔の面影を残す多くの商家が消えた後 隣接する老朽化した家屋が残る新町・片原町・宮の町エリアを
再開発によって喪失した雲州平田の地域的財産が残る町並みとして 知ってもらいたいという思いから
平成13年(2001)4月8日(日)に「おちらと木綿街道」というイベントを企画開催した
「おちらと」とは 出雲弁で「ゆっくりと」という意味である
現在では当たり前のように使われる「木綿街道」という名称は このイベントから派生し
この地域の愛称として 町並み景観保全を広くアピールするシンボルとして定着するに至ったものである
別ウィンドウ:画像サイズ:1800x2564 木綿街道散策マップ
前日は とっとり花回廊から「ひかわ美人の湯」へ 入浴を済ませて「道の駅・湯の川」で車中泊
平田までの距離は僅か10km弱 午前7時15分頃には到着 JA島根平田支店北側の
駐車場らしき広場(駐禁看板・観光駐車場案内の類は見つからず)に車を停め置きする
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木綿街道の東端 醤油製造業・岡茂一郎商店前 早朝で開店前 7:45
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「出雲の国のさいしこみ醤油で作った しょうゆ愛す(アイス)」に惹かれるが 開店前なので後で寄る
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木綿街道交流館
江戸時代に「外科御免屋敷」と称された旧長崎家の復元家屋 一階客室・二階薬草乾燥場は当時のままに復元
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妻入り塗屋造の町家
国登録有形文化財 本石橋邸
推定される建築年代は1750年頃(江戸時代中期の寛延・宝暦時代)といわれている
切妻屋根・妻入り・塗屋造の町家 石橋家は 雲州木綿の集荷を担う荷宿(倉庫業)を営み
江戸後期から昭和初期には大地主として隆盛を誇った
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防耐火のため軒下まで漆喰で塗り固めた塗屋造の町家
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棟石
山陰地方では冬の強風に対処するため 島根半島を中心とした伝統的瓦葺家屋には
棟石(ムネイシ・ムナイシ)と呼ばれる 地産の来待石を加工した棟抑えを屋根に載せる
また 全国に20戸ほどある棟石さんという名字を持つ家も すべて島根県出身である
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高床の家 昔は水害が多かった
宝暦2年(1752)創業 旧石橋酒造
骨格は創業当時の建築物 木綿街道の旧家では景観保護のため年に一度建物の木部に柿渋が塗られる
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平成19年(2007)廃業 現在は木綿街道振興会によって管理運営
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かけだし(荷揚場)への通路がある建物
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「かけだし」への通路
道を挟んで「かけだし」に続く岡屋小路

岡屋小路
古くこの小路近くに岡屋と称する醸造を営む大店(おおだな)がありました 明治9年10月の片原大火で
整備され消えましたが 他に和田屋・大和屋等の屋号を冠する小路が存在していました
どの小路の奥にも大店が所有する長屋造りの貸家が存在し 小路の呼称に大店の屋号が使われました
小路に住む人たちにとって水場の「かけ出し」は生活通路であることから 岡屋小路のかけ出しは
今なお確保されています 船川は交通路の運河のみでなく庶民の生活をささえた大切な川でもありました
また かけ出しから続く小路は荷揚げの大切な通路でもありました
酒持田本店
明治10年(1877)創業 別誂えの瓦や雨樋に銘酒「ヤマサン正宗」のマークが刻印されている
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新酒の蔵出しには軒下の竹が青竹に替えられる
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正宗の鬼瓦
「ヤマサン」マークの棟飾り
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ヤマサンの軒先瓦
ヤマサンの銅雨樋

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中央の扉は「かけだし」への通路
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創業正徳5年(1715)日本生姜糖元祖 來間生姜糖本舗
明治9年の大火で焼失し再建された明治の建築物
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元は銀行の建物 和洋折衷の建築物(大正期?)
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残された銀行の紋飾り
瓦に恵比寿
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平入斜接家屋 のこぎり型の家並みは車寄せを兼ねる
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宇美神社神門
宇美神社拝殿
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石灯籠台 あうんの亀
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神殿裏の一式飾り
出雲市無形民俗文化財 「一式飾り」の由来
一式飾りはその名が示すとおり あらゆる生活用品のうち 自転車器具・陶器・茶器・仏具等々その一式を
自由に使い分けて歌舞伎や映画・テレビの登場人物や船・動物などを 奇抜な構想・技巧を凝らして具現し
飾り競う平田独特の民俗芸術である 元々は 神に奉り祈願する素朴な信仰心から始まったものであった
江戸時代の寛政5年(1793)に原因不明の疫病が平田に大流行したとき 平田寺町の住民で表具師であり
彫刻や俳諧も嗜む桔梗屋十兵衛が 茶器一式で米俵に乗った大黒天像を作り 疫病退散を祈願して
平田天満宮の神幸式に奉納したのが一式飾りの始まりである 以来 毎年7月20日から3日間の
平田天満宮の夏祭りに町内競って一式飾りを奉納し 伝統的な民俗芸術として今日まで継承されている
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小村邸前
本町通りの一式飾り
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弁慶と牛若丸
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白鳥
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チャップリン
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桃太郎
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シェフ
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恵比寿
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一式飾り 宇美神社
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岡茂一郎商店まで戻ってきた さしみ醤油(再仕込み醤油)と醤油アイスを買う
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一式飾り 醤油仕込み
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