2018.05.24  大山(だいせん) 大二峰・弥山(みせん)1709.4m

伯耆大山に登るのは二回目である 昭和46年(1971)11月 社内でパーティを組んで桝水高原から弥山に登った
当日は雨が降り風も強かったが それでも避難小屋が営業していて「大したことはない」と山小屋の主に励まされ
結局 剣ヶ峰・槍ヶ峰・烏ヶ山を縦走した 下山途中  烏ヶ山のドンドン下りで膝を痛め
帰阪してから医者通いとなり 今でも下山中に時折膝のあたりが痛くなることがある
大山登頂の 翌日は 蒜山三座の縦走にチャレンジするも 途中で道に迷い暗くなってから漸く人家に辿り着き
呼んでもらったタクシーで宿に向い 到着の遅延で蒜山国民休暇村の方々に迷惑をかけてしまった
今から思えば 元気だけが取得の若気の至りであったが 楽しく印象深い思い出である
その後伯耆大山は 登山客の増加に伴い山頂稜線の崩落が激しくなって 弥山より東は立ち入り禁止となった
一昨年辺りから伯耆大山に登ろうと計画し 新緑の時期に約半世紀ぶりの登山となった
前日は 安来の「道の駅・あらエッサ」で車中泊し 登山後も再度「あらエッサ」で車中泊
明日は 大山のダウンヒルサイクリングを楽しむつもりだが 「体力は持つだろうか?」一抹の不安を残す
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標高グラフ
中国地方最高峰である大山の標高最高地点は 剣ヶ峰の1729mであるが 剣ヶ峰に至る縦走路が通行禁止とされ
祭事が第二峰の弥山で行われることから 現在では弥山を大山頂上としている
地質学上は成層火山であるが 活火山として指定はされていない 中国脊梁山地から北に離れた独立峰で
山体は東西約35km 南北約30kmで 裾野は北の日本海まで達し 日本列島の火山では最大級の規模である
山全体が大山隠岐国立公園に指定されており 標高800mから1300mは 西日本最大のブナ林に覆われている
また 山頂付近に見られる大山伽羅木の群生林は国の特別天然記念物に指定されている
古来から山岳信仰の御神体として敬われ『出雲国風土記』の国引き神話に登場し火神岳や大神岳と呼ばれ
奈良時代に山岳信仰の山として開かれ 明治の廃仏毀釈まで大山寺の寺領で一般の入山は禁止であった
別名で 角盤山(かくばんざん)・伯耆大山(ほうきだいせん)・伯耆富士とも呼ばれる
夏山登山道登山口 7:50 − 五合目 9:15 − 弥山山頂 10:40 − 行者谷分かれ 12:15 − 元谷 12:55 − 登山口 14:00
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夏山登山道登山口 無料駐車場
標高780m 夏山登山道登山口 7:50
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大山寺阿弥陀堂への参道
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阿弥陀堂を過ぎると大山一合目
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西日本最大・ブナの原生林
大山二合目
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頭上の緑
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標高1000m 8:30
ミツバツツジ
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ブナの原生林
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大山四合目
標高1200m
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大山五合目 9:15
大山六合目
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米子市 弓ヶ浜と中海
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六合目避難小屋 9:38
スミレ
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大山七合目 山頂が見える
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大山八合目
標高1600m 10:21
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山頂避難小屋の屋根が見える
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山頂下の分岐 右は大山伽羅木林へ
10:40 山頂碑
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嘗ての縦走路 一等三角点もこの先にある 右端は烏ヶ山 山頂碑も今年いっぱいで取り壊される
47年前  風雨の中で前にキスリングザックを抱え 中腰になって細い稜線を足早に駆けたことを思い出す
カメラを取り出す余裕もなかったのか 残された写真がなく 記憶だけが鮮明に残っている
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山頂避難小屋と弓ヶ浜・中海・島根半島 山頂小屋テラスで休憩 山頂出立 11:10
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大山伽羅木の群生林
石室と地蔵ヶ池・梵字ヶ池
この石室は、大正9年(1920年)に地元の人々の奉仕によって夏山登山道が整備された翌年に、
避難用としてつくられました。当時の貨幣で800円の経費であったと言われています。
左後方にある池は、上が地蔵ヶ池、下が梵字ヶ池と呼ばれ、古くから「弥山禅定」という行事が行われた
聖地でした。毎年、役僧二人と先導者三人がこの池まで登り、経筒に写経を納め、
ヒトツバヨモギ、キャラボクの枝を採り閼伽桶(仏様にそなえる水を入れる桶)に池の水をくんで下山しました。
閼伽水は仏様にそなえられ、ヨモギは薬草として信者に分け与えられました。
(現在では「もひとり神事」という行事として7月14日夕方から15日早朝にかけて行われています)
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石室
地蔵ヶ池
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梵字ヶ池
崖っぷちを歩いている
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行者谷分かれ 12:15
急坂を階段で下る 膝が少し痛くなる
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行者谷のブナ林
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元谷の砂防ダム
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無事下山 13:18
大神山神社奥宮の裏側に出る

国指定重要文化財 大神山神社(おおがみやまじんじゃ)奥宮
中世に修験霊場として栄えた大山寺の大智明権現社として大山信仰の中心であったが、明治の神仏分離により
大神山神社奥宮となった。当地はかつて大山寺の諸堂・諸院が立ち並んでいた地域の最奥にあたり、
文化2年(1805)に建てられた現在の社殿は、京都と地元の2人の大工棟梁により建てられ、
同じ幅の本殿、幣殿、拝殿に長大な翼廊がとりつくのが特徴である。本殿内部は素木であるが、
本殿正面の向拝や、弊殿内部の天井は、漆や金泊、花鳥絵で飾られている。左手に位置する末社、下山神社は、
奥宮社殿と同時期の建築で、奥宮社殿と同様、本殿と幣・拝殿が一体化した複合社殿で、
現在の奥宮社殿より古い形式を留めていると考えられている。幣殿の天井に草花の絵を描くほかは素木のままとし、
本社社殿と差異をみせている。奥宮は境内の環境もよく、社殿は規模雄大な複合社殿で、意匠・技法もすぐれた
江戸時代後期を代表する神社建築であり、末社もあわせて価値が高い。
毎年6月初めの山開き祭はここで開催される
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大山寺本堂
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大山寺山門
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モンベル大山店
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