2015.07.25-27 大阪から岡山・奥出雲・三瓶を通り山陰路で九州に帰る

7/26 鯉が窪湿原-奥出雲おろちループ 鉄の彫刻美術館-鬼の舌震-田部家の土蔵群-菅谷たたら

岡山県新見市哲西町矢田 ため池百選 鯉ヶ窪池と鯉が窪湿原

鯉が窪湿原は 灌漑用水池の「鯉が窪池」上手の標高550mに広がる湿原地帯で
この地方では「さわった(沢田)」と呼び 物干竿が全て入ると云われる程の深さがあると伝えられる
高梁川の支流がある矢田谷源頭部に残されたこの湿地帯は 太古の自然が姿を留め 北方系や満州朝鮮系の
残存植物や日本固有種など 300種を超える植物が自生しており 「鯉ヶ窪湿性植物群落」として
昭和55年(1980)3月6日に日本の天然記念物に指定された その面積は3.6haあり一周すると2.4kmになる
春のリュウキンカから始まって秋のスイランが終わるまで季節ごとに違う花が楽しめる
この湿原は 大正9年(1920)哲西町出身の植物学者・小坂弘によって見いだされ
大正13年(1924)には山口国太郎が踏査し 昭和6年(1931)に学会でも認められた
昭和27年(1952)に岡山県の天然記念物に指定されが その後 指定が解除され元々民有地であったため
総合商社に所有権が移転され宅地開発の対象地となった しかし 自然保護の動きが強まり 付近住民の
宅地化反対もあり商社は開発を中止 管理を哲西町に委託した 哲西町は木道や案内板を設置して
湿原の保全と整備を積極的に行い 国の天然記念物に指定され岡山県自然環境保全地域の指定も受けている
その後 鯉ヶ窪湿原は哲西町により買い上げられ 現在は新見市哲西町が保護管理にあたっている
鯉が窪池は元禄8年(1694)に灌漑用水池として構築され 安政年間に備中松山藩が改修したと記録されている
その後も2度に渡り嵩上げされ 現在では満水時面積2.7ha 受益面積27haである 溜池構築以前は
広大な湿原が存在していたと思われ 渇水期の水位低下により池畔には厚さ1m程度の泥炭質土壌が現れる
近隣にある山間の地形は勾配が緩やかで 過去 谷間には多くの湿原が存在していたと思われるが
その中で只ひとつ残された鯉が窪湿原は 貴重な植生の宝庫である

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6:40 鯉ヶ窪池
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鯉ヶ窪池の奥にある湿原
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湿原の花

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小倉仙翁(オグラセンノウ) 学名:Lychnis kiusiana Makino
大正10年(1921)に鯉が窪湿原で発見され一度は「サワナデシコ」と命名されたが 後に
明治36年(1903)熊本阿蘇山で採取された標本に基づき植物学者の牧野富太郎により新種として
紹介されたオグラセンノウと同一種である事が判明した ナデシコ科センノウ属の多年草で
朝鮮半島北部・九州地方・岡山県以西の山間部の湿地帯に生育するが 現在絶滅危惧種に指定されている
新見市と合併する前の 岡山県阿哲郡哲西町の町花であった
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備中風露(ビッチュウフウロ) 学名:Geranium yoshinoi Makino ex Nakai
フウロソウ科フウロソウ属の多年草 岡山県の標本をもとに命名されたため「備中」の名が付く
名前の通り岡山県の山間部を中心とした地域の湿原に見られる他 広島県東部・島根県・岐阜県などでも
生育は確認されているが 絶対的な個体数の少なさから絶滅が危惧されている
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小葉擬宝珠(コバギボウシ) 学名:Hosta sieboldii
リュウゼツラン亜科ギボウシ属の多年草で 北海道から九州までの広い地域に分布し
日当たりの良い湿った草原や湿原に自生する
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野花菖蒲(ノハナショウブ) 学名:Iris ensata
アヤメ科アヤメ属の多年草で 栽培花菖蒲の原種である 北海道から九州・朝鮮半島・中国に分布し 水辺や
湿原及び湿った草原に自生する 原種とはいえ 菖蒲園で見る野花菖蒲より 自生する花は小さく可憐である
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草連玉(クサレダマ) 学名:Lysimachia vulgaris var. davurica
名前を聞いて一瞬「腐れ玉」を連想 なんという名だ!と思ったが「草連」で納得 別名に硫黄草(イオウソウ)
和名は マメ科のレダマに似ていることから由来する サクラソウ科オカトラノオ属の多年草で
日本の北海道・本州・九州 アジアでは朝鮮・中国・樺太・シベリアに分布し 山中の湿地に生育する
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顎無し(アギナシ) 学名:Sagittaria aginashi
オモダカ科オモダカ属の水生植物 日本や中国・朝鮮半島に分布し 山間の湖沼や湿地 ため池などに自生する
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沢桔梗(サワギキョウ) 学名:Lobelia sessilifolia
キキョウ科ミゾカクシ属の多年草で 北海道から九州に分布し 山間地の湿った草地や湿原などに自生する
通常は群生し 美しい山野草であるが有毒植物としても知られ 麻酔用の薬草として利用された例もあるが
危険度が高い 横溝正史の小説及び映画「悪魔の手毬唄」では「お庄屋殺し」と呼ばれている
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下野草(シモツケソウ) 学名:Filipendula multijuga
バラ科シモツケソウ属の多年草 北半球の温帯から亜寒帯に10数種知られ 日本には5種が自生する
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禊萩(ミソハギ) 学名:Lythrum anceps
ミソハギ科ミソハギ属の多年草で 湿地や田の畔などに自生し また栽培もされる
日本と朝鮮半島に分布する 和名の由来は ハギに似て禊に使ったことから禊萩
もしくは溝に生えることから溝萩といわれたことによるとされる
お盆の花としてよく使われ 盆花・精霊花の呼び名もある この湿地帯にも多く生息する
近縁種のエゾミソハギは ヨーロッパ原産でミソハギよりも大きく日本各地に帰化している植物で
国際自然保護連合(IUCN)の種の保全委員会が定めた「世界の侵略的外来種ワースト100」に選ばれている
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鷺草(サギソウ) 別名:鷺蘭(サギラン) 学名:Pecteilis radiata
ラン科サギソウ属の湿地性の多年草で 台湾・朝鮮半島と日本の本州・四国・九州の標高の低い湿地に自生する
深く3列した唇弁の開いた様子がシラサギが翼を広げた様に似ていることが和名の由来
山野草として栽培され増殖も安易なことから 市場に安価で大量供給されているにも係わらず
自生地での無謀な盗掘があとをたたない 手元に置きたいがための「お土産採集」「観光記念採集」が
相当数を占めていると思われ それに開発による自生地の減少も加わり 自生種が激減しているため
環境省により レッドリストの準絶滅危惧(NT)の指定を受けている
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鯉ヶ窪池

駐車場で見た花

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蛍袋(ホタルブクロ)
キキョウ科ホタルブクロ属の多年草 関東では赤紫 関西では白が多い
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藪萱草(ヤブカンゾウ) 学名 : Hemerocallis fulva var. kwanso
ユリ科ワスレグサ属 太古に中国から帰化した植物 別名に忘れ草(ワスレグサ)・萱草菜(カンゾウナ)がある

JR芸備線 比婆山駅 奥出雲おろちループ橋 鉄の彫刻美術館 JR木次線 出雲坂根駅 出雲横田駅

道の駅 鯉が窪に戻り東城町の市街地を経て国道314号線を北上する
国道314号線は 分水嶺を越える峠道の連続である 庄原市東城から分水嶺を越え 落合を経て比婆山駅へ向かう
比婆山駅は 昭和10年(1935)12月20日 国鉄庄原線・備後西城駅-備後落合駅間の延伸開業に伴い
備後落合駅と共に開業された 開業当時の駅名は備後熊野駅である

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分水嶺・標高638m 広島県庄原市西城町髙尾
9:50 JR芸備線 比婆山駅
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山陽広島駅の列車到着時刻表を流用した駅名板
駅務室は地区集会所になっている

比婆山駅から落合に戻り 三井野の分水嶺を越えて奥出雲おろちループ橋へ 鉄の彫刻美術館を訪れる

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10:10 西城町別所 比婆山駅からの帰り道 国道の傍らに当たり前のようにキツネノカミソリの群落がある
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国道314号線 分水嶺・標高727m 島根県仁多郡奥出雲町八川 三井野原 近く

島根県奥出雲町八川 国道314号線 奥出雲おろちループ 鉄の彫刻美術館

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1.JR木次線の最高所 三井野原駅 2.分水嶺・標高727m 3.奥出雲おろちループ 4.道の駅 奥出雲おろちループ
5.鉄の彫刻美術館 6.JR木次線 出雲坂根 7.出雲坂根の三段スイッチバック

日本一のループ式道路 奥出雲おろちループ
標高差172mの三井野原と坂根の間を結ぶ三井野原道路の主要部分で 山肌を縫うように走る旧峠道路の
バイパスとして計画された 昭和57年(1982)に着工し 平成4年(1992)4月に開通した
二重ループで構成される部分は 7ヶ所の橋と2ヶ所のトンネルが設けられ ループ区間の標高差は105mである

道の駅 奥出雲おろちループで休憩 併設の「鉄の彫刻美術館」へ入館(無料)する
Webサイト「しまね観光ナビ」より転載(一部編集)
「神話とロマンの里」「鉄の町」奥出雲の新しいシンボルとして「鉄の彫刻美術館」を設立。
展示する作品は、鋼鉄によるモニュメント彫刻で世界的に知られる作家、故下田治氏の製作によるもので、
下田治氏の夫人・下田幸知様のご好意とご理解による寄贈のもとに実現。
収蔵作品
初期の抽象表現主義の絵画作品から、最晩年の彫刻作品に至る全44点
(油彩カンヴァス作品5点、立体構成作品5点、彫刻34点)

併設されていた 高原カフェ&レストラン・奥出雲ショップ・星降る高原ロッジは現在閉鎖されている

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10:50 鉄の彫刻美術館を出る

島根県仁多郡奥出雲町横田1020 三段スイッチバックのあるJR木次線 出雲坂根駅
木次線最大の難所である出雲坂根-三井野原駅間は スイッチバックと大きく迂回するルートで
標高差164mを 距離6.4kmをかけ列車は上る 平均勾配の25‰は蒸気機関車の限界ともいえる
南にひとつ離れ木次線の最高所である三井野原駅は標高728mにある

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スイッチバックのポイント

島根県仁多郡奥出雲町横田 JR木次線 出雲横田駅
昭和9年(1934)の開業から続く木造駅舎は 出雲大社などで用いられている大社造の神殿を模倣している
出雲三成-八川駅間を延伸開業するにあたり 駅の新設を規格外の駅舎としたのは 簸上清酒を始めとする
地元産業界の有志達によるもので無論のこと地元負担を伴い 当時としては画期的なことであった
横田は 奥出雲の「ソバ処」で 町内には迷うほど多くの蕎麦屋がある
< Link:駅前の観光案内所でもらえる そば奥出雲町イラストマップ
あまりの暑さに駅前に車を止め 一番近い「あさひ亭」で出雲ソバを食らうが 間違いなく美味かった
店によって出汁が違うらしい もし機会があれば他の店にも挑戦したいと思うのだが……

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国鉄時代は郵便ポストが角型で注連縄もなかった
櫛稲田姫像 近くに櫛稲田姫を祭る稲田神社がある
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国鉄木次線の出雲三成-八川駅間の延伸により 昭和9年(1934)11月20日に開業された
掲示される建物財産標によれば 駅舎竣工は同年10月6日となっている
そば処・あさひ亭から出雲横田駅に戻り 奇岩奇景の「鬼の舌震」に向かう 距離12.5km

島根県仁多郡奥出雲町三成宇根 鬼の舌震

鬼の舌震(おにのしたぶるい)は 斐伊川の支流・大馬木川上流の中流部に約2kmにわたり広がるV字渓谷で
昭和2年(1927)4月8日に 国の名勝及び天然記念物に指定されている
指定時の正式名称は鬼舌振(おにのしたぶる)であった 「出雲国風土記」に記されている伝説では
仁多郡阿井村の玉日女命(たまひめのみこと)を慕い 和爾(わに)が川を遡上してきたが 玉日女命が巨石で
川を塞ぎ身を隠した古事による「和爾の慕ぶる」が転訛したとされている 古語での和爾は鮫のことである
一帯の地層は粗粒黒雲母花崗岩からなり それらが長年に亘り浸食されたものである
<ネット掲載の案内地図>
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ネット上の案内地図と現地に掲示される案内図は一部違う所があるが 現地の案内図が正しい
<案内板拡大>
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舌震の「恋」吊橋 対岸は樹林帯を行くバリアフリー遊歩道で渓谷美は探勝できない
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12:52 恋吊橋から俯瞰する渓谷 奥の橋は「玉日女橋」
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与謝野晶子の詠歌 紫の水のつとふは 目におかず 並べる岩の くはだつること
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小天狗岩
水瓶(はんど)岩
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与謝野鉄幹の詠歌 したい山 まことに誰を したふらん 清き涙の 岩こえて鳴る
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千畳岩
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小天狗岩
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大馬木川の清流
14:10 鬼の舌震から雲南市吉田町の田部家土蔵群に行く 距離235.3km

島根県雲南市吉田町吉田 田部家土蔵群と菅谷たたら

吉田の町並み
吉田町の中心部・吉田は 松江藩鉄師筆頭の田部家の反映とともに栄えた企業城下町である
町並みは 往事の面影を色濃く残し 生活風土と文化の薫りを今に伝えている 町の入口には
田部家所有の18棟にも及ぶ白壁土蔵群が整然と並び 藩内最大の鉄師頭取としての繁栄ぶりを誇っている

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田部家の土蔵群
田部家は室町時代に製鉄業を始め 江戸時代には松江藩九鉄師の筆頭鉄師を務めた
江戸から明治末期までの最盛期には 全国需要の七割にも及ぶ「たたら」による鋼を生産していたといわれる
たたら製鉄には 木炭製造のため膨大な山林を消費する 故に田部家は山林王としても名を馳せていた
繁栄の証となる蔵の中には 「文政蔵」「宝永蔵」というように その時代ごとの名前が付けられた蔵もある

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15:15 田部家の土蔵群

島根県雲南市吉田町吉田4210-2 菅谷(すがや)たたら
<菅谷たたら山内保存修理事業 高殿竣工の記念パンフレットより転載>
菅谷たたらは、雲南市吉田町の田部家が経営したもので、宝暦元年(1751)に川上たたらから移転し、
安永6年(1777)まで操業が行われた後、杉戸たたらへと移りました。
その後、寛政4年(1792)に、菅谷にたたらが再度設けられてからは、田部家における中心的なたたらとなり、
大正10年(1921)まで129年にわたって操業が行われました。
田部家文書「文政九年以降鑪方勘定出目銀座写」によれば、年問の操業回数は、天保10年(1839)までは
81~90回と多く、その後は60~70回で推移しています。生産内容は、年により変動はありますが、
鋼が2割、鉧(けら:粗鋼)が2~3割、銑(ずく:銑鉄)は5~7割前後で推移していて、
銑を中心に鋼と鉧が生産されていました。
(参考文献:「たたら製鉄と近代の幕開け」/島根県立古代出雲歴史博物館/平成23年)
菅谷たたらは、たたら製鉄に関連する施設と、そこで製鉄に従事する人々が生活していた住居とで構成される
山内(さんない)と呼ばれる集落が全国で唯一現存するものとして、昭和42年(1967)年11月に
国の重要有形民俗文化財に指定されています(平成25年3月:追加指定)。

樹齢およそ200年といわれる桂の木が菅谷たたら・高殿の横にある ここは映画「もののけ姫」のたたら場の
モデルになった場所で たたらの神様「金屋子神」が 白鷺に乗って桂の木に降りたと言われている
そのため 桂の木は たたら場の護り木とされている 桂の木は 春先に真っ赤な芽吹きを見ることができる
桂の木の芽吹きは赤く上を向き まるで炎が燃えているように見え 年に一度3日間だけみることができる
たたらの炎も3日間燃え続けることから 桂の木がたたらと非常に関係が深い一因だとされている

吉田村でたたら製鉄が始まったのは鎌倉時代であるといわれているが 以降中世までは[野だたら」といわれる
移動式の製鉄法が採られていた 近世に入り吉田村でも高殿を構えて創業が行われるようになると
村内のあちこちで盛んにたたら製鉄が行われ 企業たたらとして隆盛を極めるようになった
鎌倉時代から延べにして約600年余りの長きにわたり この地で「たたら製鉄」が続けられ
大正10年(1921)の最後の操業まで約6世紀以上もの間 世界一高品質の玉鋼を作り出してきた
このことは この地がたたら製鉄を行うのに 総合的な敵地であったことを表している

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山内全景
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山内の中心にある「菅谷高殿」
全国で唯一現存する高殿様式で 嘉永3年(1850)の火災後に再建されたと伝わり
「国の重要民俗文化財」に指定されている
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高殿 平面図

構造は 入母屋造 妻入 こけら葺 正方形平面の建物(こけら葺)で 内部は各隅に配された
押立柱(おしたてばしら)が構造上重要な役割を果たしている 押立柱の中心に製鉄炉
その両脇に鞴(ふいご)がある 奥の中央に砂鉄を置いた「小鉄(こがね)町」 その両側に燃料である
黒炭を置いた「炭町」 左右入口の中間に炉を造るための粘土を置く「土町」があり 炉の左右には
操業を差配する村下(むらげ:技師長)らが休息した「村下座」「炭坂座」という職人詰所(控え室)がある
また屋根頂部には、創業時に開放する火宇内(ほうち)が設けられている

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16:05 高台にある山内生活伝承館を出て今日の宿・国民宿舎 さんべ荘へ 行程は約33km 45分程
途中 名勝 八重滝への案内板を見るが時間がなくなったので行けない

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