2017.05.29 熊本県山鹿市菊鹿町木野 岩隈山の切通し

広報やまが 2011年(平成23年)9月 No.129より転載(一部編集)
ふるさと歴史探訪 連載71回 岩熊山の切り通し(菊鹿町)
山鹿市菊鹿町木野の上本文(かみほんぶん)と山鹿市菊鹿町松尾の立徳(りゅうとく)の間に
岩隈山(通称・ 腰掛松)と呼ばれる丘陵地帯があります。現在は県道196号が松尾神社の西側から南側に
迂回するように通っていますが、この道路ができる前は上本分の西方寺の脇から山を切り掘りした道路が
上本分地区と立徳地区を結ぶ主要道路でした。その道は岩隈山を切り取って両側が絶壁となっており、
「切り通し」あるいは「掘り切り」と呼ばれています。
「切り通し」がいつごろ、山を横断するように切り取られ、現在の形になったのか、
詳しいことは分かりませんが、聞き取り調査の結果、かなり昔からこの道路はあり、通行中の村人が足を取られて
死亡する事故が起きていました。そのため昭和の初めごろ、さらに山を削り現在の形に近づいたとのことでした。
エ事には外国人が10人ほど従事し、トロッコ線路を敷設して泥を排出したそうです。
掘り出した泥は付近の道路の勾配を緩和するためや、低い農地のかさ上げのほか各戸の庭先へと運ばれました。
「切り通し」の両崖には石仏が並べられていて、かつては数十体が置かれていました。
これらは魔よけを目的としたものと考えられ、誰ともなく製作し追加されていきました。これら名も無き石仏は、
自分の身に災厄があった場合などにそれを自宅へ持ち帰り1年間拝んだ後に元に戻すという習慣がありましたが、
忘れて元に戻さなかったり、別な場所へ持ち去って安置したりということが繰り返されたため
数が少なくなってしまいました。しかし、今でも両崖に20体近くは安置されています。
現在、削り取られた灰土がむき出しだった両崖はコンクリートで防護され安全性が高められました。
しかし、そこを歩いて通ると何か山の霊で包まれるような感覚になり、
思わず振り返ってしまう時がある不思議なスポットです。
紹介者:山鹿市文化財保護委員 平井 祥一郎さん (菊鹿町木野)
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地理院色別標高図
1.岩隈山の切通し  2.道の駅・水辺プラザかもと  3.鞠智城跡
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並ぶ石仏
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弘法大師像
菩薩と大師像
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立徳側に新しい掲示板(内容は新発見による石仏群の新説と思われる)がある
切通しの石仏群 仏記念碑(ほとけきねんひ)
この記念碑には、次のように書いてある。
龍徳区の松本長平氏は若い頃から信仰心厚く、七十四歳のときに四国八十八ヵ所詣りに行き、高野山、
京都の名刹、善光寺、浅草観音、九州一円を巡礼し、明治39年(1906年)七月に帰郷。益々信仰心深まり、
八十八体の石仏を作ることを発起。八年余、刻苦奮闘し遂に大正3年(1914年)11月、志を達成。
厚い信仰の念がなければ到底なしえないことである。作った八十八体の石仏は菩薩像の左右に並べ祀る。
長平氏は本年(1915年)八十六歳で、残り幾ばくも無いので、松本家関係者が相談し、
氏の特志を後世に伝えるために八十八体石仏の由来を記すために記念碑を建立する。
大正4年8月
※切り通しの壁面に並ぶ石仏群は、この八十八体の石仏ではないかと思われる。
2016年3月 菊鹿文化歴史探訪会
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5月末・午後0時頃にしては暗い切通し
旧鹿本鉄道(山鹿温泉鉄道)の菊池川鉄橋々梁
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掲示板内容
●鹿本鉄道とは
「鹿本鉄道」(昭和27年に「山鹿温泉鉄道」と改称)は、大正4年(1916)に設立され、
大正6年に蒸気鉄道として、国鉄植木〜肥後豊田間が、大正7年に肥後豊田〜宮原間が開通しました。
さらに、大正10年に宮原〜来民間、大正12年に来民〜山鹿間が開通して植木〜山鹿間の全線が開通しました。
その後、約50年にわたり地域の足として多くの方々に利用されてきましたが、度重なる水害や諸般の事情による
経営不振のため、昭和35年12月営業休止の後、昭和40年、鉄道事業が公式に廃止されました。

●菊池川鉄橋の由来
明治22年(1889)12月「九州鉄道」により博多駅〜久留米千歳川仮駅間に九州で初めての鉄道が開通、
さらにその翌年、明治23年3月には千歳川(現在の筑後川)に「干歳川鉄橋」が完成し、久留米駅まで鉄道が
開通しました。この時に架けられた鉄橋は、ドイツのドルトムント・ウニオン社製のポ二ープラットトラスで、
九州で初めてとなる鉄橋でした。この鉄橋は、機関車の大型化に伴い、後に架け替えられることになりますが、
この架け替えの時、それまで架かっていた鉄橋構造物の一部の4連が「鹿本鉄道」に譲渡され、
大正10年(1921)に菊池川を渡る「菊池川鉄橋」として架橋されました。その後、鹿本鉄道が廃止となり、
昭和58年(1983)鉄道廃線跡が自転車道に再利用されることになったのに伴い菊池川鉄橋も撤去されましたが、
その一部が植木町宮原駅跡に記念物として移設(この時に1連32mの構造物が24mに短縮されています)・保存
されていました。平成14年1月4日、鉄橋の所有者であった鹿本鉄道の後身である「山鹿自転車道株式会社」の
ご好意により、この鉄橋が鹿本町に対して寄贈され、同年3月、町はこの鉄橋を解体、ここ水辺プラザに移転し、
平成14年度において、新たに遊歩道の一部として整備しました。本橋は、九州最古の鉄道鉄橋の生き残りであり、
九州の鉄道の歴史にとっても、鹿本町にとっても、鉄道に関する貴重な文化遺産です。
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歴史公園 鞠智城
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鞠智城は、7世紀後半(約1300年前)に、大和朝廷が築いた山城です。当時、東アジアの政治的情勢は、
非常に緊張していました。日本は、友好国であった百済を復興するため援軍を送りましたが、
663年の「白村江の戦い」で、唐と新羅の連合軍に敗北しました。
このため、事態は急変し、直接日本が戦いの舞台となる危険が生じました。
そこで九州には、大宰府を守るために大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られました。
鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。
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米倉復元建物と八角形復元建物
八角形復元建物(32号建物跡)
概 要
平成3年度の調査で見つかった2棟のうち南側のものです。復元に際し、
遺構保存のためにもともとの建物の位置から北側にずらしました。
掘立柱建物で、八角形に配列された側柱が、心柱(直径90cm)を軸として、3重に巡ります。間柱も付ています。
構 造
高さ15.8mの三層造りで、一層部分の柱間は3.5m。ー層目に49本の柱(心柱を含む)と二〜三層目に
それぞれ16本ずつの柱が建っています。県産材のヒノキとスギを使用しました。
瓦葺き屋根で、平瓦と丸瓦を合わせた総重量は、約76トン。建物の頂部には、宝珠を飾っています。
性 格
鼓楼で、連絡用の「太鼓」が三層目に置かれていました。「日本文徳天皇実録」や「日本三代実録」に
そのことが書いてあります。
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屋根瓦葺き模型
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八角形復元建物
米倉復元建物
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八角形建物発掘写真と図面
米倉発掘写真と図面

米倉復元建物(20号建物跡)
概 要
平成3年度の調査で見つかりました。20個の礎石(土台石)全部に柱を建てた総柱建物です。
調査時に多量の炭化米と、瓦が出土しました。
構 造
間ロ8.6m・奥行き11m。床面積67.2平方m。屋根までの高 さは9.1m、高床式で、床高は1.6m。
壁材は、内側が平板で、外側の断面は三角形になるように加工されています。
この長い木材を横方向に積み上げて壁としたのが校倉造りです。
床端には鼠返しのエ夫がなされています。材質は樹齢100〜140年の県産杉で、扉のみヒバ材を使用しました。
瓦葺き屋根で、使用した瓦の枚数は平瓦2870枚、丸瓦1800枚、瓦の総重量は約32トン。
性 格
多量の炭化米が出土したことにより、米を保管する倉であったことがわかります。
米俵に換算して1200俵の米を収納できる大きさです。
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兵舎復元建物(16号建物跡)
概 要
平成2年度の第12次調査で発見された側柱のみの掘立柱建物跡です。3間×10間の規模で、大型の建物に属します。
柱径は30cm程度です。同規模の建物跡が2基並んでいるうちの1基を復元しました。
構 造
間口8.0m、奥行き26.6mで土間面積は213.6平方m。屋根までの高さは6.3m。
板葺き屋根で、3枚の厚板を重ね合わせて葺かれています。壁は土壁で突き上げ窓がついています。
性 格
防人と呼ばれた兵士が寝起きしていた「かまぼこ型の兵舎」です。
建物規模から50人程の兵士が生活していたと考えられます。
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板倉復元建物(第5号建物跡)
概 要
平成2年の第12次調査で発見された3間×4間の掘立柱建物跡です。総柱であることから高床式の倉庫であったと
考えられます。平成12年度「地域材利用促進木造公共施設等整備事業」により林野庁の国庫補助を受けて
復元整備しました。建築材の大部分は鹿本郡の木材を使用しています。
構 造
屋根:瓦が出土しなかった事、菊池郡内に茅葺倉庫の存在を示す記述が
国史にあることなどから茅葺きとしました。
板壁:「落としはめ方式」による板壁を採用しました。「板倉」の名称はこれによるものです。
面積:83.78平方m 桁行き12.0m 梁行6.9m  高さ:屋根9.0m 床1.5m
性 格
建物の配置から正史に記述された「兵庫」(武器庫)であると推定しています。
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灰塚頂上
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灰塚 展望案内
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長者山展望広場休憩所
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温故の森
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万葉歌垣の風情
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石原昌一作 鞠智城温故創生之碑
防人(さきもり) 防人の妻子 憶礼福留(おくらいふくりゅう) 巫女 鳳凰
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