2010.05.04  福岡県朝倉市黒川宮園  高木大神社記念橋

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この高木神社は江戸時代まで大行事社といわれ 彦山神領の鎮護を目的とした彦山麓七大行事社の一つである
創建の時期は不明であるが 寄進された最古の史料に天文23年(1554)銘の墨書が確認できる
高千穂家(現在の英彦山宮司家)に残る記録によると 正慶2年(1333)後伏見天皇の第六皇子
長助法親王(後の助有法親王)が彦山座主として九州へ下向され 世襲制初代座主に就任したという
翌年には「黒川院」御所を造営し 第十四代舜有座主が豊臣秀吉の九州征伐で降伏するまで
約250年間にわたり 九州における修験道の中心であった彦山と共に 一大宗教都市として繁栄している
江戸時代に筑前国が黒田領となると 黒田家との関係が悪化し 黒川に残る歴代座主の墓所や栄華を誇った旧跡は
第二代藩主黒田忠之の破壊命令で消滅してしまう 現在 高木神社では毎年10月29日に
福岡県無形民俗文化財に指定された宮座行事がある 行事には中世修検道の要素が色濃く残り
当時の黒川院を物語る数少ない伝承となっている

明治37年(1904)2月から明治38年(1905)9月まで続いた 日露戦争の凱旋軍人献納池に
架けられた戦勝記念橋である 架橋年月は明治40年(1907)6月
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ひょうたん型の凱旋軍人献納池に架かる石橋
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親柱に「紀念橋」の刻文字
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