憧れの田舎暮らし

一言で「田舎に住む」と言っても 人それぞれの目的や立場が違う 勿論のこと夫婦においてもである
Uターンで古郷に帰る人 都会を離れ別荘を建てる人 Iターンで農業を目指す人 理由も形態も色々
では私たち夫婦はどうなのかと言えば 生まれがサラリーマン家庭 なので故郷に帰るUターンでもない
また農業で生計を立てるわけでもなくIターンでもない 妻は出来る限り野菜の自給自足を目指すという
ただ 自分たちが食すものは自分で作りたいという発想と願望から行動し
新鮮で安全な有機野菜を作りたいと思っているようであるが 私は農業に関してはあまり興味がない
というか やりたいとは思わない ただ自然の中で暮らしたいという一心のみである
それとは別に 無機質的な物体を加工造作するのが好きで これを趣味とする一面がある
なので 妻は「耕人」私は「工人」とも言える 私的には他者に気兼ねなく大工道具を使うことが
夢ではあったので田舎生活に異存はない 田舎生活を始めるに当たり
なかなか夫婦共々 意見の一致を見ることは珍しいと言われ そのようにも思う
工人を自負する割には 家まで自分で建てようとは思わない軟弱者だが 耕人と工人それぞれが
自分たちの 違った「小さな欲求」を満たすべく田舎での生活をと思い立った訳である
双方とも 海よりも山が良いということもあり 希望する場所は山間部の閑村という事に落ち着いた
星野村・三瀬村・小国町・南小国町などを候補地として 行動に移すべく準備に取りかかった

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三瀬村の風景

しかし 話は少し前に遡る 三人家族なのに2シーター・フルオープンのスポーツカーを購入した
田舎暮らしからは程遠く 走るしか能のないこの車を見て 家族からは「何・考えてるの」と非難轟々であった
でも この車が 数年後に夢の実現へと繋がることになるとは 思ってもみなかったことである

仕事のIT化が進み 田舎での生活を実現するための準備を整えつつあった頃
車のオーナーズ・クラブに入った農家の青年に「田舎生活したけど貸してもらえる土地有る?」と
ダメ元で聞いてみたら 簡潔に「いっぱいあるけど見に来ます」との即答を得た

後日訪問し 数カ所廻って最後に見た緩やかな南斜面の「元は茶畑であった」という荒野に一目惚れした
借地の交渉に入るには まず自分たちの手で背丈以上に伸びた茶の木を伐採することが条件とされ
初めは簡単な剪定用のノコギリやハサミで挑戦したが「埒が明かず」使ったことがないチェーンソーを購入し
半年間ほど通い詰めて 約一反・300坪程度の土地を 地面が見えるまで木を伐採し拓いた

そして今「いっぱいある土地」の片隅200坪にわが家がある 大阪から突然の転勤
博多に永住覚悟と言われ家を買ったらまた転勤 深く考えもせず直感的に会社を辞め 後に脱サラなど
ころころと変化する人生の中で 何が災いとなり何が幸いとなるか知れたことではない
ともあれ 夢を持ち続けられたこと 会社が変わっても同じ職種の仕事を続けられたこと
車を通じ仕事以外の友人を持てたこと そして夫婦の思いがいつも通じ合っていたことが一番であった

大切なのは住環境である

家を借りる時は「何処に住むか」が重要な要素となる なぜか家を建てる時は「何処に住むか」よりも
「どのような家に住むか」が重要な要素となってしまう それは宅地そのものの選択肢が
あまりにも狭いからだと思われる よって 「どこに住むか」かが困難な課題となってしまい
その分だけ「どのような家に住むか」が知らず知らず重要な要素となってしまう
しかし 考えてみれば「何処に住むか」が 一番に大切なことは すでに思い知っていることである

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手前勝手な条件をあげつらえば 田舎であっても自然が豊かなところでなくてはならない
緑が豊富にあっても ライフ・ラインが完備しているに越したことはない
つまり水道も電気も通信も必要となる 車での移動は不可欠であっても 買い物には不自由したくない
病院にも近いほうがよい 隣近所がいい人たちで新しい住民を快く受入れてほしい
しかし プライバシーは確保したいなどと 結局のところ矛盾に満ちた希望となるが
それぞれの兼合いとそれぞれの割合で 妥協する必要がある

村人自身が 家を建てるなど思いもしなかった放置された茶園ではあったが
梨園とゴルフ場が眼下に展開する傾斜の緩い南斜面は 一日中日当たりよく
眼前に見渡す限り人家は無く 集落からも300m程離れていて しかも尚且つ道路からも見えない場所で
取付道路は人が通らない私道 豊かな自然環境 借地可能な畑も近くにあり 星空も美しく
景色も見晴らしもよい土地である 中山間地の田舎ではあるが 総合病院にもスーパーにも近く
また 高速道路のICからたった15分で来られる所である にもかかわらず過疎化の進む集落でもある
しかし なぜこんなに自然が豊かでそこそこ便利なところが 過疎にあえぐのか不思議な気もするが
村を抱える地方都市そのものが 過疎化に陥っているのだから仕方ないのかも知れない
仕事も少ないから福岡や大阪へと若い人たちは出ていく 村から出て町中で暮らす若者もいる
こういう所に限って「都会に出ていく者は拒めず 都会から来る者は拒む」ことで
より過疎化に拍車がかかる まずは「もったいない環境」と言う他はない

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◁ 我が家からのパノラマ写真 2006.02.04 17:40 ▷

別荘という選択肢

バブルの頃 俄に開発された別荘地は 大半が原野を切り開いた所で 商店も病院も遠く不便な所である
私も一度は別荘という事で検討したこともあるが 原野の割に地代が高く開発形態も新興宅地と変わらない
雛壇型に切り開かれた狭い急傾斜地に所狭しと並ぶ建築群は 私に恐怖を抱かせた
条件のよい場所は以前から開発されている高級別荘地で 入手方法・価格ともにハードルは極めて高い
また維持管理の費用も大きい 別荘とは自己管理により維持されていく物で たいそうな手間暇がかかり
維持費も大きい 時々朽ち果てた別荘らしき物を散見するのは 何よりもそれが証拠かとも思う

食料を持ち込み自炊するという形態も 女房殿にはなかなか理解しがたいもので 布団の上げ下ろし
掃除・炊事などの日常から解き放たれる非日常的な時間は 別荘では得がたいものである
別荘を建てる程の資金が有るのなら 老後に「旅をする方が良い」というのが多くの女房殿の結論であろう
「男の隠れ屋」的発想は 女にとっては摩訶不思議な物でしかないのである

私が暮らすこの土地でも別荘の建築用地にと何度か話があったそうだが その都度不発に終わっている
地域の先住者としては受け入れ難く 売却した土地が次つぎと転売される恐れもあり 環境破壊の恐れもある
居住する田舎人にとって 土地はデリケートなものであり 金銭の問題だけではない
ただし ふる郷を捨てた「元田舎人」にとっては 故郷の土地は「金の成る木」であって欲しいらしい

結論的に別荘などは田舎生活などといえるものでもなく 利己主義個人主義がまかり通るタウンである
意見のまとまりもなく 利害が対立し 合議を図っても会議に出席しなかったり
会議日には けっして別荘を訪れない人たちも存在し 管理組合役員の「なり手」すら少ないと聞く

要は別荘などけっしてお薦めできる様な物ではないという事である 但し 有り余る資産を保有し
箱根や軽井沢などの由緒ある別荘地に管理人や使用人を常用できるほどの方には 無粋な意見ではある

完全なる自給自足は不可能である

よくTV番組などで 自給自足の田舎暮らしを取り上げてはいるが 電気・水道などを使わなくても
各種の税金・社会的手続料・納付金など 物品での納入は不可能であるため
自給自足分以外の余剰生産物を換金しなければならない 余剰生産物を作ることは自給自足ではない
資材や動力エネルギーを購入し余剰生産物を生み出すことは 生産活動となり営農である
故に自給自足は不可能能であるが それに近い生活形態は可能である
田舎においても現金収入の道がないとは言えない 農業の働き手は慢性的に不足しており仕事はある
ただし賃金はびっくりするほど安い そのため 収入が少なければ支出を減らす これは当然の帰結である
「貧しさは人材を育成する」とよく言われるが これは学歴などという薄っぺらな事ではない
それは生きる力の育成だと 近頃私は思う

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田舎に来て しばらくするとテレビを見なくなった 次にはラジオですら聴かなくなった
新聞の勧誘も来なかったので新聞もない インターネットで世界と辛うじて繋がっていることになるが
ネットであっても繋がなければ何日も何週間も世間の事は判らない

不安とも思えるが 歴史上では 少し前までみんなそうして生きてきたわけで
その事によって人間は感覚を研ぎ澄まし災いに備えてきたのである 鈍った感覚が如何に危険かは
鋭い人には判るはずで 如何に情報が溢れていようとも 感度が鈍ければ鋭くキャッチは出来ない

また田舎暮らしが絶対出来ない人達も多く存在する 魚に例えると「鮫型」人間である
海底にいるものを除く一般的な鮫はエラが無く 常に泳いでいなくては窒息するため 眠る間も泳ぐ
忙しい忙しいと言いつつ 忙しいのが快感であるかのように 寝る間も惜しんで行動する人に相当する
一方の鮟鱇は 動かず静かに呼吸しながら獲物を待つ 一人でいることが苦にならず
種を蒔いてひたすら収穫まで我慢して苦にならない人格に相当し 晴耕雨読の田舎向き人間である

一人遊びが出来ない人にとっては 田舎暮らしは退屈の極みとなる

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2000年6月 5匹の猫と田舎生活を始める

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