2014.10.24  熊本山鹿自転車道「ゆうかファミリーロード」

正式名は熊本県道330号熊本山鹿自転車道線である
熊本城の西部に位置する 熊本市中央区島崎1丁目の井芹川に架かる段山橋東詰めから ほぼ井芹川沿いの
植木駅までのコースと 嘗て植木−山鹿間を走る「山鹿温泉鉄道」跡のコースを合わせる
全長約32.6kmの自転車専用道である この自転車道には 熊本と山鹿を結ぶ意味を込めて
「ゆうか(熊鹿)ファミリーロード」の愛称が付けられている
ロードマップ「ゆるチャリの旅」から
熊本から山鹿まで続く自転車の道は かつて山鹿温泉鉄道が通った跡
田園の中を走り抜けた線路の上を 今はゆうかファミリーロードが続く
山鹿温泉鉄道の車窓から見えた風景は 今も当時の面影を残し ゆるい時を刻んでいる
自転車に乗れば 車窓とほぼ同じ高さ
ゆっくりとペダルをこいで行けば 道の向こうからキハ1がやってくるようで
思わず耳をすましてみる心地よい休日

山鹿市サイクリングターミナル 山鹿市鍋田2085番地(山鹿市立博物館同敷地内)
自転車道の専用駐車場は無い 山鹿市内の有料駐車場か「ゆうかファミリーロード」の入り口となる
岩野川の鍋田橋東詰下の河川敷きに駐車可能である サイクリングターミナルは利用者のみ駐車可能
今回は鉄道跡の山鹿−植木間を往復走行したが 一般道・路地との交差は全て一旦停止となり
スムーズに走ることが出来る区間は少ない また国道3号線の豊田交差点は地下通路となり
自転車を押して上下するなど 同じく鉄道跡の耶馬渓自転車道と比べると不人気である理由が解る
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植木駅 昭和31年(1956)3月 国土地理院による空撮
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JR植木駅
右は山鹿温泉鉄道築堤跡
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線路跡の鐙田(あぶみだ)駐輪場
自転車道入り口 右は複線化前の旧国鉄線路跡
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国鉄用地の境界標識柱
昭和32年7月の被害現場 今も爪痕が残る
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植木トンネル上部 この下には今も空洞がある
投刀塚(なたつか)休憩所
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滴水(たるみず) 線路跡に戻る
植木町駅跡 右側に駅舎跡 国道208号と交差
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植木町駅 昭和31年(1956)3月 国土地理院による空撮
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昭和32年(1957)植木町駅
一ッ木駅跡
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一ッ木駅 昭和31年(1956)5月 国土地理院による空撮
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植木町山本辺りの線路跡
今古閑(いまこが)駅跡附近
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今古閑駅 昭和31年(1956)8月 国土地理院による空撮
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山本橋駅跡 山本橋駐輪場 左側ホーム跡
ホームの階段跡
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山本橋駅 昭和31年(1956)8月 国土地理院による空撮
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山本村農業倉庫 裏に貨物引き込み線があった
今藤(肥後大本)駅跡
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今藤駅 昭和31年(1956)5月 国土地理院による空撮
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肥後豊田駅跡 左ホーム跡 右駅舎本屋跡
舟島駅跡
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肥後豊田駅 昭和31年(1956)5月 国土地理院による空撮
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舟島駅と伊知坊駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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伊知坊駅跡 伊知坊公民館
平島温泉駅跡休憩所 一部ホームが残る
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平島温泉駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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山城駅(位置は不明確)附近 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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山城駅跡附近
宮原(みやばる)駅跡 ホームと駅舎土台が残る
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宮原駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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用水路の鉄製橋桁 大正10年・払下品の記録あり
奥永駅跡
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奥永駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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分田駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
山鹿市鹿本町梶屋1257 道の駅「水辺プラザかもと」に保存されている
鹿本鉄道(山鹿温泉鉄道)の菊池川橋梁(一部)
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●菊池川鉄橋の由来
明治22年(1889)12月「九州鉄道」により博多駅〜久留米千歳川仮駅間に九州で初めての鉄道が開通、
さらにその翌年、明治23年3月には千歳川(現在の筑後川)に「干歳川鉄橋」が完成し、久留米駅まで鉄道が
開通しました。この時に架けられた鉄橋は、ドイツのドルトムント・ウニオン社製のポ二ープラットトラスで、
九州で初めてとなる鉄橋でした。この鉄橋は、機関車の大型化に伴い、後に架け替えられることになりますが、
この架け替えの時、それまで架かっていた鉄橋構造物の一部の4連が「鹿本鉄道」に譲渡され、
大正10年(1921)に菊池川を渡る「菊池川鉄橋」として架橋されました。その後、鹿本鉄道が廃止となり、
昭和58年(1983)鉄道廃線跡が自転車道に再利用されることになったのに伴い菊池川鉄橋も撤去されましたが、
その一部が植木町宮原駅跡に記念物として移設(この時に1連32mの構造物が24mに短縮されています)・保存
されていました。平成14年1月4日、鉄橋の所有者であった鹿本鉄道の後身である「山鹿自転車道株式会社」の
ご好意により、この鉄橋が鹿本町に対して寄贈され、同年3月、町はこの鉄橋を解体、ここ水辺プラザに移転し、
平成14年度において、新たに遊歩道の一部として整備しました。本橋は、九州最古の鉄道鉄橋の生き残りであり、
九州の鉄道の歴史にとっても、鹿本町にとっても、鉄道に関する貴重な文化遺産です。

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分田(ぶんだ)駅跡
来民駅跡は交差点の向こう市営住宅地
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来民駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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肥後白石駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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肥後白石駅跡
肥後大道駅跡
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肥後大道駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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山鹿市内 橋台跡
線路跡終点 山鹿駅跡は宅地化され痕跡は皆無
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山鹿駅 昭和23年(1948)10月 国土地理院による空撮
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自動車学校時代の山鹿駅跡
自動車学校に残された煉瓦給水塔と駅舎廃屋
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菊池川堤防の自転車道
鍋田橋の自転車道ゲート
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