昭和20年(1945)不要不急線の指定を受けて 余儀なく線路が撤去され運転休止となり
終戦後は復活再興されることもなく 昭和27年(1952)4月1日に営業認可を返上し正式に廃止となった
しかし線路跡は戦禍に見舞われることもなく温存されていたため
駐留米軍による国土調査を目的とした空中写真では 法隆寺から平端間の道床が明瞭に確認される
国土地理院地図 1945年〜1950年 航空写真画像
1.国鉄法隆寺駅 2.富雄川橋梁 3.木戸池橋梁 4.安堵駅 5.額田部駅 6.平端駅 7.近鉄平端駅
写真からは 富雄川及び木戸池(二ツ池)に架かる橋梁も 鉄材として供出されたことが判る
廃線遺跡 法隆寺〜安堵〜平端

軽便駅跡の緑地帯からJR法隆寺駅を見る

JR法隆寺駅から天理軽便新法隆寺駅跡を見る


軽便駅跡
法隆寺駅前に残るレンガ造り橋台


橋台から駅へ線路の敷設方向
住宅地を抜け出た線路跡


農道になった線路跡
自転車道路として活躍する所もある

水路に残るレンガの橋台

JR大和路線(関西本線)と平行する線路跡

果樹園となった道床築堤

緩やかなカーブを画く道床跡とJR大和路線

JR大和路線(関西本線)と木戸池(二ツ池)の築堤

木戸池(二ツ池)の築堤 中央は水路

カーブする木戸池(二ツ池)の築堤


池の堤を下る線路跡は田圃に消えていく
屋敷裏の道床跡

屋敷の横を長く続く線路跡


線路跡と思われる竹藪
線路跡と思われる区画


同じく線路跡と思われる竹藪の区画
役場前安堵駅跡近くに残る細長い区画

田畑に残る線路跡 南西から北東に木が並ぶ


工場が出来た額田部北町の線路跡
平端駅方向 額田部駅跡


踏切跡から住宅地へと変貌する
平端駅前の薬局は線路跡

平端駅前 右の建物が軽便平端駅跡

フェンスに囲まれた近鉄線の分岐に残る線路跡