2010.08.01 一日乗車券で JR広島駅から広電宮島口駅まで

電車一日乗車券( 1dayTrip card ) 宮島松大汽船を含む全線一日フリーパスの磁気カード
大人600円・小人300円 宮島口駅までの往復切符より低額である
広島電鉄ホームページ http://www.hiroden.co.jp/
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その他のフリーパス
●宮島フリーパス
 全線・宮島松大汽船・宮島ロープウエー
 連続する2日間有効 大人2000円・小人1000円
●一日乗車乗船券
 全線・宮島松大汽船
 1日間有効 大人840円・小人420円
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ホームページより路線図
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オフィス街の立町電停
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国産超低床電車 グリーンムーバーマックス
原爆ドーム前で途中下車
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世界遺産となった原爆ドームには 原水禁世界大会を控え 訪れる人が多い
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広島県物産陳列館として 明治43年(1910)の県議会において建設計画が決定された 
設計は当時の知事により 東京で建築事務所を営むチェコ人の建築家・ヤン・レッツェルに決められた
建築は広島の椋田組による施工で 6年後の大正4年(1915)4月5日に竣工し 同8月5日に開館した
大正8年3月に 広島湾の似島俘虜収容所に収容されていた第一次大戦中の捕虜による
「似島独逸俘虜技術工芸品展覧会」が同館で開催され ドイツ人の菓子職人カール・ユーハイムにより
日本で初めてバウムクーヘンの製造販売が行われた 解放後のユーハイムは日本に残留することを決め
明治屋が経営する銀座の喫茶店「カフェー・ユーロップ」に製菓部主任として採用された
契約期間終了後に 横浜に喫茶軽食の店「E・ユーハイム」を夫妻で開店 店名の<E>は
妻の名「エリーゼ」から採られた 関東大震災で全財産を失い神戸垂水村塩屋の知人宅に身を寄せたが
在留外国人の支援を受け 大震災救済基金からも借入金を得て 三宮に喫茶<JUCHHEIM'S>を開店した
その後戦禍などの困難を乗り越え カール亡き後もエリーゼと従業員によって引き継がれ現在に至る
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ドームの先端まで約25メートルあり ネオ・バロック的な骨格にゼツェシオン風の細部装飾を持つ
混成様式の美しい建物であった 後に「広島県産業奨励館」に改称された
原爆炸裂後 秒速440メートル以上の爆風によって1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊し
建物内で勤務していた内務省職員ら約30名は全員即死したと見られる
しかし ドーム枠組み鉄骨と外壁を中心に 中央のドーム部分だけは奇跡的に全壊を免れ残された
戦後は 復興が進むと同時に取り壊しを求める意見も多かったが 昭和24年(1949)8月に
広島平和記念都市建設法が制定され 恒久平和実現の象徴として広島平和記念公園構想が本格化した
昭和28年(1953)には所有権が県から市に移され 昭和30年(1955)には丹下健三氏設計による
広島平和記念公園が完成した 公園は原爆ドームを北の起点として 原爆死没者慰霊碑や
広島平和記念資料館が南北方向に一直線に並ぶように設計され 原爆ドームをシンボルとして際立たせた
その後も風化が進み 行政も財政的問題から原爆ドーム保存には消極的な上
取壊しを懇願し忘却を願う根強い意見もあって 崩落や解体の危機に瀕したが
被爆者や広島折り鶴の会 それを支援する平和運動家などによるドーム保存運動が高まりを見せ
昭和41年(1966)に 広島市議会で永久保存することが決議された
広島市や県などによる保存補修が続けられていたが 被爆50年目の1995年に国の史跡に指定され
翌・1996年12月には ユネスコの世界遺産への登録が決定された
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宮島口で名物あなご飯を食らう
ふじの屋店内
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JR西日本宮島フェリーななうら丸 暑さと時間の都合で島には渡らず
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広電阿品駅 ナタリーマリナタウンで体を冷やす
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広電阿品駅 広島駅行グリーンムーバー 初導入の超低床車両
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路面軌道石畳も健在
旧京都市電車両には京都に因む愛称が付けられる
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オフィス街を行くグリーンムーバー
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JR広島駅から 700形と5000形グリーンムーバー
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JR広島駅から グリーンムーバーマックス
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