広島電鉄の歴史

現在・広島電鉄株式会社の内 鉄道・軌道事業は電車カンパニーが担当
軌道線(市内線)6路線19.0kmと鉄道線(宮島線)1路線16.1kmを合わせ総延長35.1kmの路線を持つ
全区間 軌間ゲージ 1435mm 直流600V電化区間である 1日あたりの輸送人員は約16万人で
軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は 路面電車としては日本一である
日本の市街路面軌道の廃止縮小の嵐が吹きすさぶ中 自動車メーカー「マツダ」のお膝元にありながら
地球環境保全の機運が高まる現在において ますます目が離せない日本一元気な都市内鉄道である
● 広島電気軌道
明治43年(1910)
6月 広島電気軌道を設立
大正01年(1912)
11月 電車開業
広島駅−紙屋町−御幸橋間開業 八丁堀−白島間開業 100形電車(初代)50両導入
12月 紙屋町−己斐(広電西広島)間が開通
大正04年(1915)
4月 御幸橋東詰−向宇品口(元宇品口)間開業
御幸橋駅から御幸橋東詰まで京堀川は徒歩で乗り継ぎ

● 広島瓦斯電軌
大正06年(1917)
8月 広島電気軌道は広島瓦斯(広島ガス)と合併 広島瓦斯電軌に改称
11月 左官町(本川町) - 三篠(横川一丁目)間が開通
大正08年(1919)
5月 京堀川の軌道専用御幸橋が完成
大正10年(1921)
大阪市電から100形電車(二代目)を10両譲受導入 初代100形を0形へ改番
大正11年(1922)
8月 己斐町(広電西広島)−草津町(草津)間の鉄道線が開通
大正13年(1924)
4月 草津町(草津)−廿日市町(広電廿日市)間開業
大正14年(1925)
4月 150形電車(現在・広電最古参)を導入
7月 廿日市町(広電廿日市)−地御前間開業 宮島への連絡船が開業
大正15年(1926)
7月 地御前−新宮島間開業 連絡船に接続した
昭和02年(1927)
大阪市電から100形電車を10両譲受追加導入
昭和05年(1930)
200形電車(初代)を10両導入
昭和06年(1931)
2月 新宮島−電車宮島(広電宮島口)間開業 宮島線全通
昭和10年(1935)
12月 宇品橋東詰−向宇品(元宇品口)間複線化 御幸橋東詰駅は廃止
昭和13年(1938)
大阪市電から300形電車5両譲受
京王電気軌道から23形を10両譲受 500形(初代)とした 100形(二代目)を400形に改番

● 広島電鉄
昭和17年(1942)
4月 国策により広島瓦斯電軌の交通事業部門を分離独立
広島電鉄に改称 600形電車(初代)・650形電車導入
昭和18年(1943)
12月 土橋−舟入本町間開業
昭和19年(1944)
6月 舟入本町 - 舟入南町間単線開業
7月 皆実線(比治山線)敷設のため 廿日市町−宮島口間の下り線を撤去流用単線となる
12月 的場町−皆実町三丁目(皆実町六丁目)間開業
昭和20年(1945)
3月 舟入本町−舟入南町間複線化 現路線網の大部分が完成
原爆投下
8月6日午前8時15分 人類史上初の原子爆弾が米軍によって広島市に投下された
人類史上類を見ない未曾有の被害にあう しかし広島電鉄は被爆わずか3日後には一部で運転再開 同様に被爆した長崎電気軌道が再開まで100数日を要したことに比べ 驚くほど短期間での再開であった このことには郊外に長く延びた宮島線が大きな役割を果たした 郊外にあった車両や人的要員及び変電所などの給電設備が無傷で残ったのである
宮島線用の変電設備をいち早く移設 8月9日には己斐(広電西広島)−西天満町間で運転を再開した 乗降場は急遽枕木を重ね高床の宮島線車両に合わせた このことは 甚大な被害に打ちひしがれた広島市民を奮い立たせたと後の世まで語り継がれる
その当時被爆した車両の一部は被爆電車として現在も保存を兼ねて運行される 毎年8月6日の原爆忌には8時15分に乗務員や乗客が1分間の黙祷を行うため 原爆ドーム付近を走行している電車は当該時刻には近くの停留所に臨時停車する
昭和20年(1945)
12月 本線が全線復旧
昭和22年(1947)
11月 江波線復旧
昭和23年(1948)
7月 皆実線・宇品線復旧  12月 横川線復旧
昭和25年(1950)
7月 宮島線 複線に戻る
昭和26年(1951)
3月 800形電車(初代)10両導入
昭和27年(1952)
3月 白島線復旧
昭和28年(1953)〜
500形電車5両導入 100形電車(初代)全車廃車 550形電車5両導入 850形電車3両導入
昭和33年(1958)
3月 貸切電車 宮島線−市内線との直通運転開始
昭和35年(1960)〜
2000形電車 2500形電車導入
昭和37年(1962)
1月 宮島線広電西広島駅と市内線己斐電停が現在の場所に移設合併
市内線広島駅前(現在の広島駅)−宮島線広電廿日市間営業直通運転開始
営業運転に使用開始された車両は 550形551号車 850型 2000形 2500形
昭和38年(1963)
5月 市内線・宮島線直通運転区間を広電宮島まで延長
存続の危機
昭和30年代以降は広島電鉄も他都市路面電車と同様 モータリゼーションの波を受け渋滞の増加で定時運行を維持することが困難となり 窮地に落ち存廃を論議されるに至った
しかし広島電鉄の関係者による 市・警察当局などに対する積極的な働きかけを受ける形で 県警も独自に調査団をヨーロッパに派遣し新たな発見をする それは中心街地の交通渋滞緩和のため役割を果たす近代的な路面電車の姿であった 結果として公共的代替交通機関のないまま軌道を廃止すれば 中心街交通環境をさらに悪化させるとの結論を引き出し 道路環境の整備と共に 一時解除されていた軌道内への自動車進入禁止を再開させ 辛うじて残すことができたといわれる しかし今日の環境問題を思えば 県警及び広島市のとった存続への措置は先見の価値が多いにあったと言えよう
昭和41年(1966)〜
車両の大型化・ワンマン化を進める
大阪市電・750形・900形 神戸市電・570形・1100形・1150形譲受
単車 150形・200形(初代)・400形・450形 全車廃車 車両の大型化を完了
ボギー車 600形(初代)・700形(初代)・800形(初代)廃車
2000形連結改造 西鉄北九州線・600形譲受 800形(初代)1両がワンマン化
京都市電・1900形譲受 西鉄福岡市内線・3000形譲受
大阪市電・900形譲受以降より経費節減のために移籍前の塗装をそのまま維持する
結果として「動く電車の博物館」として鉄道ファンの間で呼ばれるようになるが 方向幕の大型化や冷房化などは積極的に行われ 乗客獲得のためには原型に拘らず投資する姿勢もある
国外からも車両の導入が計られ ドイツ・ドルトムント市より70形が 広島市とドイツのハノーバー市との姉妹都市提携を記念し 200形(二代目 通称:ハノーバー電車)が同市より贈られた
平成03年(1991)
8月7日 宮島線専用車(高床車)運行終了 翌日より低床路面電車タイプに統一する
平成11年(1999)
6月 グリーンムーバー運行開始
平成17年(2005)
3月 グリーンムーバー・マックス運行開始
平成21年(2009)
10月 宮島線全駅でICカードPASPY導入
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