「田の神さぁ」は 南部九州地方の旧薩摩藩領域に 元々分布していた「田の神」のことで 集落ごとに杓子や摺子木と
茶碗を持った「田の神」を 水田の際にまつる風習が多くみられる 江戸期では薩摩藩領への出入りが厳しく制限されており
他所への伝播はほぼ皆無である 明治以降はその分布がやや拡大したが 現在も薩摩・大隅・日向の都城周辺に限って分布する
代表的な事例では 春に 田の神に化粧が施され 背中に背負って戸外へかつぎ出し 村人と共に花見をする
これは「田の神おおなり」などと言われ 水田への宿移りの祭事である
また 秋の収穫後には 再び戸外から家の中へと移動する祭事が執り行なわれる
「田の神さぁ」は18世紀(1700年代)初め頃よりつくられ始め 同じ形の石造がひとつとして存在しないことが大きな特徴である
仏像形・僧形・神像形・神職形・神楽舞形などの宗教信仰にもとずく形態の他 女形や農民形などが存在することも特徴である
農民型の田の神さあは シキを被り 右手にメシゲ 左手にお椀を持って表情豊かにユーモラスに踊る姿が農民型の典型である
数の多さと姿から田の神像の代表とされており えびの市でもこの型が最も多くある
シキとは縄を螺旋状に巻いた敷物(座布団)のこと メシゲとは飯杓子
尻に敷く座布団を被り しゃもじとお椀を持って踊る 酒宴での百姓・滑稽踊りがモデルだと思われ 行儀の良いことではないが
にっこり微笑みかけて さぁ 飯喰らえメシくらえ もっと喰らえ〜と囃し立てているようである
この農民型の「田の神さあ」を後ろから見ると「男根」(陽石)を表現しているのが特徴でもある