現地解説
八代平野の西部に位置する郡築地区は 明治期に旧八代郡役所が行った干拓工事により築造された土地で
国・県営ではなく郡が事業主体として実施したことが「郡築」の地名の由来になっています
郡築干拓における明治期の干拓樋門としては 3箇所(甲・乙・丙樋門)が明治33年(1900)年に
建設されましたが 現存するのはこの甲号樋門のみです 郡築干拓の設計は当時熊本県技師であった
川口虎雄氏で 工事請負人は愛知県の棟梁服部長七氏です 甲号樋門(三番町樋門)の施工は
熊本石材会社で 当時の金額で12.590円の費用をかけて築造されました
基本構造は石造アーチですがアーチ部には赤レンガを使用しており
10連アーチが大きな特徴となっています 石造の多連アーチ式樋門としては
八代平野に2箇所(他に郡築二番町樋門)残るうちのひとつで
干拓により形成された八代平野を代表する建造物です 現存する石造樋門としては国内最大規模です
築造年 明治33年(1900) 構造/石造アーチ式十連樋門
長さ 31.8m 幅 8.3m 国指定重要文化財