肥後の武将、加藤清正は多くの土木事業を行いましたが、慶長13年(1608)に完成した馬場楠井手もその一つです。
馬場楠井手はここから約1800m上流の白川に築かれた馬場楠堰から取水する灌漑用水路で、白川左岸台地を潤していますが、
他の灌漑用水井手と違いこの井手には、「鼻ぐり」と呼ばれる全国に類がない独特な工法が用いられています。
阿蘇に源を発する白川にはヨナ(火山灰土砂)が多く含まれており、各灌漑用井手にはヨナが蓄積し、維持管理が大変でした。
さらに、この区間(曲手~辛川)は、厚くて固い岩盤が、400mも続く所で、もし、井手を掘削した場合、
地上から井手の底までの深さは約20mになり、井手の底に堆積するヨナを人力で排出するのは困難と予想されました。
そこで、加藤清正は水の力と岩盤を利用してヨナの堆積を防ぐ「鼻ぐり」と呼ばれる、独特の構造物を考案しました。
その構造は、岩盤を掘削するときに壁(約2~5mおきに厚さ約1m、高さ約4~10m)を残し、
その下に半円型の径約2mの水流穴をくり抜いたものです。 そして、ここを流れるヨナを含んだ水は、壁の影響で流れが変化し、
うずを巻いて水流穴からヨナとともに流されていきます。この「鼻ぐり」は当初約80ヶ所設けられ、
江戸時代末期に水理を知らない役人によって約50ヶ所が破壊されたと伝えられています。
また、自然災害などで壊れてしまったものもあり、現在では二四ヶ所を残すのみですが、昔と変わらずその役目を果たしています。
なお、「鼻ぐり」の名前の由来については、牛の鼻ぐり(鼻輪)に似ていることからこの名が付いたと思われ、
この区間のみ通称「鼻ぐり井手」と呼ばれています。
菊陽町馬場楠から熊本市の大江渡鹿まで約13kmの灌漑用水路で 現在でも181haの農地を潤しています
このような土砂排出の仕組みは 日本全国でも唯一のもので他では見ることはできません
現代においても非常に特色がある仕組みのため 土木工学の調査・研究の対象として 学術的にも注目されているようです
清正の事業では 工事期間は冬から春にかけての農閑期4ヶ月を選び 作業の編成は本水路工事で 掘り手・1人 籠入れ・1人
土揚げ・2人 運搬・4人の計8人を1班とし 合計80班の1日640人工を投入し短期間に完成させています
馬場楠堰
馬場楠堰は 鼻ぐり井手から1.8km上流のところにあり 創建時は白川を斜めに横切るように石積みがされていた