大分県竹田市大字門田  明正井路第一拱石橋

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竹田市の中心部から高千穂に通じる県道8号竹田五ヶ瀬線を南下すると 頭上を跨ぐ大きな石橋がある
大正8年(1919)に竣工した明正井路の一号幹線の水路橋で 日本国内で最大規模の水路用石造アーチ橋である
また コンクリート製を含め 水路橋としては大分県内で最長を誇る
設計は 明治17年(1884)生まれの矢嶋義一技師で この後 水路下流の一号幹線二号橋も設計しているが
心労のあまり自ら命を絶ったという 石工は熊本出身の平林松造ら9名である

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◁ 明正井路第一拱石橋のパノラマ写真 ▷
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明正井路は 旧門田村(竹田市大字門田)字出合の緒方・神原両河川の合流地点に取水口を設け 緒方町と清川村地域の
水田 498haを灌漑する用水路である その総延長は175km(幹線48km・用水路127km)に及び
17基の水路橋を有する大規模な灌漑施設である 江戸末期の文久年間に岡藩藩主の命により白水の滝下より取水し37km離れた
荒平溜池に導水する計画が立てられたが実行されるには至らなかった 明治27年(1894)に より下流の旧入田村篠尾
または大津留に取水口を設けることを計画したが 着手目前に日清戦争勃発によって頓挫した
その後 明治34年(1901)にも事業計画を直入郡長に請願するも許可されなかった 明治40年(1907)に再度測量が開始し
翌年に水利組合設立を申請したが 新法成立を待つ県の判断で不許可となった 新耕地整理法が明治42年(1909)に施工され
同年6月には耕地整理測量設計の許可と補助が決まった 県から矢嶋義一技師が派遣され本格的な測量設計が始まった
大正3年(1914)に完成した計画書基づく明正耕地整理組合が設立され 大正6年(1917)に着工
1・2号幹線は大正8年(1919)に竣工 残る工事も 岡藩の計画から60年後の大正13年(1924)までに全て完工した
「明正」の名は 計画及び工事が明治時代から大正時代にわたって行われたことに由来している

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河川:大野川水系緒方川
形式:6連石造アーチ橋   橋長:78.0m   橋高:13.0m   幅員:2.8m
径間:10.7m   拱矢:3.3m    環厚:60cm
竣工:大正8年(1919)
設計者:矢嶋義一(大分県農業技手)
管理者:明正井路土地改良区
文化財等:土木学会選奨土木遺産