2026.04.07 奈良県宇陀市大宇陀本郷 又兵衛桜(本郷の瀧桜)

樹齢約300年超の枝垂れ桜 名の由来は 慶長19-20年(1614-1615)江戸幕府と豊臣家の争乱「大坂の陣」で
活躍した戦国武将・後藤正親(又兵衛)による 豊臣家崩壊後の正親は 大宇陀の地で暮らし
豊臣家再興の時期を待ったと伝わり 桜はその時の後藤家屋敷跡にあり 奈良県の保護樹となっている

駐車場の掲示板
当区の字道辺寺にある薬師寺の境内に、大阪冬の陣大阪夏の陣で活躍した豪傑、後藤又兵衛の墓がある。
周囲に玉垣がめぐらされ、石碑には「法泉院量嶽安壽 居士」と彫られている。
1615年(元和元年)5月8日、大阪夏の陣で豊臣方は敗退したが、又兵衛は再挙兵の希望を捨て難く、
城中より逃れ落ちた。紀州を廻って知人を頼り大和宇陀の当地へ来て、本郷の鉱泉で傷を癒し、
豊臣家の再興を待ったが、世は徳川の天下となったので、又兵衛は僧になり「後藤」の姓を
一時「水貝」と改めて生活していたと伝えられている。 当地には、後藤の姓を名乗る家が数軒あり、
この又兵衛ゆかりの枝垂れ桜が残っている場所も、後藤家の屋敷跡である。
また、本郷鉱泉を利用した又兵衛ゆかりの湯として、近くに県立老人休養ホーム椿寿荘宇陀寮の本郷温泉がある。

後藤又兵衛

戦国時代の武将で「諱(いみな)を基次と称した」とするのが一般的である ただし慶長20年頃の書簡に
自筆で「後又兵へ正親」と記されていることから 生前最期には 後藤正親と自称していたことが判明している
その他 年房・氏房・政次とも称されたこともあったが 生涯を通じ「又兵衛」と通称し また呼ばれていた

水戸光圀の『大日本史』によれば 永禄3年(1560)播磨国三木城主・別所家の家老職・後藤新左衛門基国の
次男として生まれた 又兵衛8歳の時に父新左衛門が急死 父の遺言により伯父の藤岡九兵衛と共に父の同輩である
黒田官兵衛に仕え 幼い又兵衛は 官兵衛の嫡男・長政と兄弟のように育てられたと言われている
天正6年(1578)官兵衛が 織田信長に対して謀反を起こした荒木村重によって有岡城に幽閉された際
伯父の藤岡九兵衛が黒田家を裏切ったため 又兵衛も同罪として黒田家から追放されてしまった
その後 秀吉の家臣・仙石秀久に仕えたが 天正14年(1586)九州平定の戦いで秀久が島津氏に大敗を喫し
それを機に長政に呼び戻される形で黒田家に帰参 黒田家の重臣・栗山利安の与力となって扶持米100石で仕えた
以降 秀吉の九州平定や文禄・慶長の朝鮮出兵にも従軍し 天下分け目の関ヶ原の戦にも戦功をあげ
慶長5年(1600)黒田家の筑前移封のときに大隈城主となった

その後 黒田家当主となった長政との確執が生まれ 慶長11年(1606)黒田家を出奔 対して長政は
黒田家の裏事情に通じる又兵衛が他家・特に犬猿の仲となった細川家に仕官するのを嫌い 旧主の許しがない限り
他家へ再仕官を禁じる「奉公構え」を発布した 親しかった細川忠興のもとに流寓するも仕官かなわず浪人となった

後も藤堂高虎より出仕の誘いを受けたが辞し 家康家臣の成瀬正成らからなされた長政への帰参斡旋にも応ぜず
故郷の播磨に戻り 池田輝政の世話になるが仕官はできなかった 慶長19年(1614)大坂冬の陣の直前に
豊臣秀頼の挙兵に応じ大坂入城 木村重成らと鴫野に佐竹義宣の軍を破る活躍を見せ 翌年大坂夏の陣でも籠城
家康自ら播磨一国を与えて誘引しようとしたが拒絶 慶長20年(1615)5月6日 真田幸村らと共に野戦を挑むが
水野勝成・本多忠政・松平忠明・伊達政宗ら二万の軍勢に敗れ 柏原小松山の争奪戦で深手を負い
吉村武右衛門の介錯により自害した

又兵衛の没後 妻は2歳の子を連れ遺髪を携えて実家のある岡山に帰った
実家である三浦家は岡山藩主池田家の家老荒尾家の家臣であった その後 嫡男は後藤姓を継ぎ名を為勝と改めた
池田家は鳥取藩へ転封となり家臣団と共に後藤一族も鳥取へ移った 後に又兵衛の孫が建てたという後藤一族の墓が
鳥取市新品治町の景福寺に伝わる 正面中央が又兵衛 右横が妻 左が為勝の墓碑となっている 墓碑には
「…為勝之厳父曰後藤又兵衛正延□敕華道蓮 今也尋於道蓮之元由 黒田官兵衛源政成法号如水入道實子…」とあり
「父曰く 後藤又兵衛は元々黒田官兵衛の実の子である」と刻まれていて 新たな伝説を投げかけている

後藤又兵衛の伝承と戯作化

江戸時代の治政下では 将軍家や幕府成立過程等の事情に関する出版や演劇などは固く禁じられていた しかし
2本差の侍など見かけることが稀であった太閤びいきの大坂では 『難波戦記』『大坂軍記』などの実録本や講釈が
半ば公然に出版上演されていた 後藤又兵衛の大坂城入やその奮戦ぶりは 私利に動かぬ豪傑として庶民の目に映り
講釈師による虚構の様々な尾ひれがついて 豪快な又兵衛像がますます大きくふくらんでいった
明治以降は実名が解禁され 歌舞伎の『茶臼山凱歌陣立(がいかのじんだて)』などに又兵衛が登場
立川文庫の講談本や又兵衛を主人公とした小説・大仏次郎の『乞食大将』など 近代に続く影響も無視出来ない


9:50 道の駅 ‎宇陀路大宇陀に駐車 又兵衛桜まで1.7km・徒歩約25分 今にも雨が降りそうな空模様

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4月1日の満開から6日後の又兵衛桜
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桜吹雪
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10:43 雲行きがかなり怪しくなってきた 道の駅まで歩いて帰る


宇陀市大宇陀迫間 かぎろひの丘万葉公園

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道の駅に戻ってすぐに雨となった 雨脚は予想よりも激しい 今夜の車中泊も当駅の予定である
昼食後も3時頃まで足止め状態 天気が良ければ津市美杉町の三多気の桜まで行くつもりだったが
予定を変更し 雨が止むのを待ってから 大宇陀の町並を散策する

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