2024.04.13 大分県豊後高田市加礼川(かれがわ) 長安寺のシャクナゲ園
六郷満山 中山 本寺 天台宗 金剛山 長安寺
伝承によれば 宇佐八幡大神の化身である仁聞菩薩が 養老2年(718)に聞基したとされる古刹である
現在は 四季を通じて美しい花や樹木を愛でることができ 別名“花の寺”とも呼ばれている
平安時代まで六郷満山を統括していた西叡山高山寺の衰退に伴い その地位を継承し
鎌倉時代には百以上の寺院を統括するに至った
安貞2年(1228)の著書『六郷山諸勤行並諸堂役諸祭等目録』では 長安寺を指して「惣山」と記されている
六郷満山における中山とは修行寺のことで 六所権現の鳥居から鐘楼門跡まで延びる参道の両側に僧坊が並び
その背後に田畑が配置され 寺と坊とが一体となった六郷満山中山寺院の原型をよくとどめている
また参道の鳥居と身濯(みそぞぎ)神社は 江戸時代以前の神仏習合の姿を今に残すものである
身濯神社は江戸時代まで六所権現と呼ばれ 比売大神・神功皇后・隼総皇子・大葉皇子・小葉皇子・雌島皇子の
六所神が 本地垂迹の神仏習合思想のもと 観音菩薩や不動明王の権現としてあがめられた社である
身濯神社(みそぞぎじんじゃ)
身濯神社は 豊後高田市の上黒土・中黒土・下黒土および当地の加礼川の4ヶ所に鎮座する神社である
嘗ては六所権現と称され 宇佐神宮祭神の八幡大神(応神天皇)を外した比売大神・神功皇后の二所女神と
隼総皇子・大葉皇子・小葉皇子・雌島皇子の若宮四所を祀った 国東では 神仏習合による本地仏は 観音や
不動明王とするのが一般的である 明治政府の神仏分離令によって長安寺と分離され村社となり身濯神社に改称
祭神も 伊弉諾・八十禍津日・大禍津日・表筒之男・中筒之男・底筒之男の六神六柱となった
学名:Iris japonica 別漢字名に著莪 別名に胡蝶花 中国原産のアヤメ科アヤメ属の多年草
学名の種小名に japonica とあるが 現在では日本固有種ではなく中国原産と判明している
古代に移入してきた帰化植物だが 三倍体のため種子の発生はなく移植によって増やされてきた経緯がある
したがって山中の群生地であっても自然分布ではなく 何らかの人為的作用によって分布したとされる
大分県豊後高田市大字加礼川 並石ダム
ダム名の由来は上流域の字名から 並石と書いて「なめし」と読む難読地名である
河川:桂川水系都甲(とごう)川 灌漑用ロックフィルダム 堤高:38.5m 堤頂長:214.5m 竣工:1985年