20.11.14 大分県大分市上判田 本宮山(ほんぐうさん) 標高 607.6m

本宮山は 豊後国一ノ宮・西寒多神社(ささむたじんじゃ)の御神体である
江戸時代の『豊後国志 巻之四 大分郡志』によれば 神功皇后が三韓征伐より凱旋の折
西寒多山(本宮山)に行幸し その証として山頂に白旗を立てた 人々はこれを敬い玉垣を結び結界とした
後の応神天皇9年に 武内宿禰が西寒多山上に祠を建てたのが 西寒多神社の始まりとされ
上記の伝承から 西寒多神社は西寒多山(本宮山)を御神体とする古代山岳信仰をもとに成立したと見られている
永いあいだ主祭神は西寒多大神 (ささむたのおおかみ)であった しかし 明治以降に西寒田大神は
天照皇大御神・月読尊・天忍穂耳命の三柱の神を包含する神であるとした

また 豊後大野市犬飼町西寒田字神尾にも西寒田神社があり 『犬飼町誌』によれば「応永十年三月、大友親世が
分霊を大分郡稙田郷に奉還す、現今の国弊西寒田神社之なり」と『古寺類苑・豊後国志、太宰管内志』等からの
引用が記され 大分市寒田の西寒多神社は当社の分霊であると断じている その後の火災により古文書類が消失し
この説も定かではないが 平安時代には西寒田神社と称されていたとされる この西寒田神社も西寒多大神を
主祭神としていたが 明治維新後に西寒多大神を八幡大神と称した

4月の登山で上宮をスルーしてしまったので 再チャレンジの登山 天気は上々だが9km近い長丁場である

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P.西寒田神社第一駐車場 1.西寒多神社 2.ため池 3.山の神・四差路 4.平原口分岐
5.猫平展望台 6.式内社 7.西寒多神社・本宮社 8.安田口分岐 9.本宮山山頂
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標高グラフ
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登山開始 9:55 西寒多神社の万年橋(石造アーチ橋)の影と標高596.1mの霊山(りょうぜん)
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とりあえず安全祈願 あまり信じてないけど
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鎮国一宮の扁額
平安時代の終わり頃から 衰退した西寒多神社に代わり 大分市八幡の柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)が
豊後国一宮を称するようになり 以前より豊後一宮を称する西寒多神社との間で「一宮論争」が勃発した
しかし 未だに決着を見ていないため 両社ともに「豊後一宮」を掲げている
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拝殿前から参道を振り返り 境内や神殿の規模に関しては柞原八幡宮の方が大きい
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拝殿から右側に行くと本宮登拝路口
田んぼ道から山へ入る
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溜池の堤から本宮山頂上を見る
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支尾根の竹林
並木のように並ぶ杉の木
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倒木のオブジェ
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山フジの大木
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標高約360m程度 本宮山北の支尾根
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11:02 山の神が鎮座する四差路
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樫の木の根のオブジェ
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本宮山の自然林
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ベンチ? テーブル?
11:40 平原口分岐
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11:45 標高約470mの七合目で再び尾根に出る 右に行けば御旅所
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御旅所 八紘一宇の石碑
本宮山山頂
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標高750.8mの障子岳と標高596.1mの霊山 鞍部に崩平山など九重連山北部の山を遠望
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12:00 標高約480m 八合目の猫平展望台 大分市街地を一望 昼食休憩
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12:31 九合目 山頂まで150m
三等三角点 標高:607.52m 点名:本宮山
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展望台 床が抜けて危険 春は大丈夫だったが
三角点と山頂標識
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猫平に比べると展望範囲は狭い
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日本製鉄大分製鉄所と市街中心部を展望 12:38下山開始
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山頂から林道に出る
九合目の登山道分岐 舗装林道を直進
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12:46 150mで本宮社 一ノ鳥居の扁額は本宮社
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ニノ鳥居 笠木の反り上がり方が珍しい
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拝殿と神殿
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拝殿
拝殿内部
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磐座
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12:55 本宮神社の森  樹齢:200~300年 集団面積:3,900平方メートル
本宮山標高607mの高地に照葉樹を主体とした樹林を形成 市内に残された数少ない自然林である
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万年橋(石造アーチ橋) 文久2年(1862)竣工 大分県指定有形文化財
発起人:寒田村庄屋 佐藤孝兵衛 石工:後藤郷兵衛 橋長:22.0m 幅員:3.0m 高さ:3.9m

14:20 無事下山 駐車場到着

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