2019.01.18 香川県坂出市 沙弥ナカンダ浜  岡山県倉敷市 下津井と鷲羽山

1/14-18 淡路島の水仙-洲本市-徳島市-脇町-栗林公園-鷲羽山-下津井町を巡る旅 5日目

香川県坂出市沙弥島(しゃみじま) 沙弥ナカンダ浜
沙弥ナカンダ浜は 県下でもまれな縄文土器が出土する遺跡として研究者の注目を集めている
数回発掘調査が行われ 従来の縄文遺物のほかに 弥生時代から古墳時代にかけての製塩遺跡の存在が確認され
製塩生産に関係する敷石炉や焼き塩炉 更に弥生時代前期の遺物なども検出された
沙弥ナカンダ浜遺跡は縄文時代から弥生時代を経て古墳時代にいたる遺構が良好に保たれていることなどから
県指定史跡に指定されている また 沙弥島の南西端の権現山や浜辺が海流で削られた急崖上の平坦部に
方墳を中心とした古墳群がある 地名の由来については「中の田」が転訛してナカンダとなった説や
北の浦をキタンダ 西の浦をニシンダと言う方言から 「中の浦をナカンダと言った」とする説がある

沙弥島と瀬居島・小瀬居島は 昭和42年(1967)に坂出沖の埋め立てにより陸続きとなった
この頃から 製塩にイオン交換樹脂膜法が採用され 市内に多く存在した塩田が廃止となった

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国土地理院空中写真 2021.01.21
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国土地理院 1967.08.04(S42)の空中写真 沙弥島は北浦の沖合2.8kmにあった
坂出港周辺の区画は 廃止前の塩田である

栗林公園から1時間程でナカンダ浜に到着 浜は史跡公園整備のため工事中であった

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10:46 Googleマップのバーチャル散歩で見つけた景色 沙弥ナカンダ浜の一本榎
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道の駅もある瀬戸大橋記念公園 瀬戸大橋タワー
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◁ ナカンダ浜から見る瀬戸大橋のパノラマ写真 ▷

岡山県倉敷市下津井 下津井の散歩
昭和48年(1973)以来 46年ぶりの再訪である 当時は国鉄の茶屋町駅からナロー鉄道の下津井電鉄に乗り
神道山と鷲羽山の鞍部にある峠から電車が一気に下津井に向かって下る時 横幅の小さい車両の揺れが激しくて
不安を感じたことを今でも思い出す 大阪へ帰る際 軽便線的な下津井駅から大阪まで「通しの硬券切符」が
買えたことも驚きであった 以来 半世紀近く経つ路線跡の多くは車道や自転車道に転用されている

<Link 別ウィンドウ 昭和の残像 昭和40年代の倉敷・吉備路・下津井>

下津井は古くから港町として繁栄した町である 東部にある鷲羽山には 6世紀頃の古墳が現存しており
平安時代の式内社・田土浦坐神社(927年創建)が今も鎮座している また讃岐丸亀との間に多島海の瀬戸を控え
古くから水軍の拠点や海運の要衝でもあった 天然の良港として古くから「風待ち・潮待ちの湊」であった
下津井の名は 児島郡郷内村のもっとも南に位置する「下の津」が由来とされ 江戸時代末期からの呼称である
江戸時代には岡山藩の領地となり 慶長11年(1606)には池田長政が下津井城を再構築し城下町として発展した
また周辺地区では綿栽培や製塩業が盛んで産品の積み出し湊として繁栄した 江戸時代から明治時代にかけては
北前船の寄港地として栄え また備前と讃岐金刀比羅宮を結ぶ金比羅往来が整備され丸亀と結ぶ湊として賑わった
同時に多島海の好漁場を控え 備前国有数の漁港として繁栄し 今でも漁業が盛んで「下津井蛸」は有名である
かつては 大畠・田之浦・吹上・下津井の4か村を総称して長浜(ながはま)と呼ばれていたが
明治40年(1907)に児島郡下津井町が成立し その後児島市と合併 平成に倉敷市に吸収合併された
明治44年(1911)には下津井軽便鉄道(後の下津井電鉄)が開業し 大正3年(1914)に下津井駅が開業した

下津井駅
大正3年(1914)3月開業 下津井電鉄の基地駅で 鉄道事務所・車庫・整備工場などが広い構内に点在していた
自動車の普及による乗客の減少とJR瀬戸大橋線の開通により バス部門の主力路線である岡山-児島間の
収支悪化が引金となって鉄道部門への赤字補填が困難となり 平成3年(1991)1月1日をもって全線廃止された
現在 下津井みなと電車保存会により保存活動とイベントによる開放が続けられている

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11:34 旧下津井電鉄 下津井駅と車両基地
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線路跡は自転車歩道になっている
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国土地理院空中写真 1961.03.07(S36)

下津井のまち歩き

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11:44 下津井漁港と瀬戸大橋
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明治時代の回船問屋の建物を復元した資料館 むかし下津井回船問屋

かつての屋号を高松屋と称し 北前船との鰊交易を通じて莫大な財産を築いた下津井を代表する豪商であった
最盛期には 海岸線に沿って蔵が立ち並び 建物内に山積みされた鰊(にしん)粕は
蝦夷(北海道)から日本海周りの北前船と呼ばれる千石船に満載されて瀬戸内を通り下津井にやって来た

江戸時代から明治初頭にかけ 無尽蔵と言われるほど漁獲された鰊は 浜で煮て搾られ魚油として生産された
油の搾り粕は当初廃棄されていたが 後に西日本を主生産地とする綿花栽培の肥料として活用されるようになった

古代に「吉備の穴海」と呼ばれた児島湾周辺では 江戸時代初期から岡山藩などによる干拓が急速に進み
塩分に強い「イ草」や「綿花」が植えられた この綿花増産のために欠かせない肥料となったのが鰊粕であった
蝦夷では不要で只同然であった鰊粕を この地に持ち込むことで莫大な利益になることから 盛んに鰊粕が運ばれ
下津井で陸揚げされ取引された 最盛期には83艘の北前船団が寄港したと言われている
倉敷や児島周辺では 生産される綿花によって紡績と機織業が発展し 今日における倉敷ジーンズの礎となった

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母屋
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石組みの滝と池まで設えた荒れた庭
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祇園神社
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13:11 祇園神社から瀬戸大橋

瀬戸内海国立公園 下津井 鷲羽山
国の名勝地で倉敷市の代表的な観光地のひとつである 鷲羽山の名は 北東方向から遠望すると
鷲が翼を広げた姿に見えることに由来している 山頂はビジターセンターの西北にあり標高は133mで
鍾秀峰(しょうしゅうほう)と名付けられている 三角点は山頂ではなくビジターセンター東の
標高112.7mの位置に設置されている 鷲羽山は児島半島最南端にあり 瀬戸内海に突き出す形で
瀬戸大橋の全景や備讃瀬戸に浮かぶ塩飽諸島を望む絶好の展望所となっている

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1.鷲羽山山頂「鍾秀峰」 2.一本松展望台 3.一本松の展望地点
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山頂の鍾秀峰への石段
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標高133m 鍾秀峰
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鷲羽山ビジターセンター
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一本松の展望から見る瀬戸大橋と四国・坂出市になる櫃石島 向こうは本島
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一本松の展望
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ビジターセンターのテラスから見る瀬戸大橋
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14:15 鷲羽山を下りる

九四国道フェリーから始まった旅はここで終わる 明日は関門トンネルを通り九州へ帰る
最後の車中泊は山陽道宮島SAとした 道の駅笠岡ベイファームを経由して182km 約4時間の道程である

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