2018.09.27 安芸の宮島

正式には厳島(いつくしま) 嚴島神社の祭神である 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の名に由来
周囲約30km 面積30.2平方km 島の最高峰は標高535m(三角点の標高529.8m)の弥山である
平地は少なく弥山や駒ヶ林など500メートル級の急峻な山が連なり 深い谷や滝が多くある
対岸と島を隔てる海峡は「大野瀬戸」と呼ばれ 最も狭い所で300メートルしか離れていない
古墳時代後期から製塩が行われ 弥山に対する山岳信仰も この頃に始まったものと考えられ歴史も古い
平安時代には「恩賀(おんが)の島」と呼ばれており 恩賀とは「神の御香が深い」ことに由来している
大聖院の前身となる寺院の弥山水精寺も 現在では 創建されたのが鎌倉時代以前とされており また
嚴島神社の創建も 伝承ではあるが推古天皇元年(593)とされる 平安時代末期に平氏一門の後ろ盾を得
現在のような規模となった 平家滅亡後は徐々に衰退し 二度の火災後に再建はされたが 社寺は荒廃した
鎌倉時代の正安2年(1300)に大聖院の座主坊が島内に移され 神職や寺僧が島に定住するようになって
初めて島内に町家が形成された 戦国時代には大内氏と毛利氏の戦場となったが 毛利元就による平定後は
毛利氏が 厳島の発展に力を注ぎ 元亀2年(1571)に社殿の大修理を行い 現在の基盤を造った
江戸時代に入ると広島藩に所属したが藩直轄地とされ 実質上は厳島社・大聖院・大願寺と宮島奉行によって
支配され 中国地方随一の参詣地として発展した 名物の「しゃもじ」も江戸時代に考案されたものである
島全体が神域とされ 第二次世界大戦頃まで島内では死者の弔いも出せなかった 今でも墓は一基もない
過去には 出産や女性の生理などへの忌避が存在し 御神体の土地を耕すことも禁じられ花壇も皆無に近い
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国土地理院空中写真 1.弥山 2.海中大鳥居 3.嚴島神社 4.フェリー乗り場 5.JR宮島口駅
前日は山陽小野田市と宇部市を通り 周南市で夜景のロケハン 徳山東ICから山陽自動車道に入り
下松SAで車中泊 翌朝は大野ICまで自動車道を使い 山陽本線北の駐車場に車を止める
フェリー乗り場付近は 駐車料金が1000円/1日に対し 線路付近と北側は少しだけ遠いため
平日は500円/1日と半額である さて  宮島へ渡るフェリーは JR西日本と松大汽船の二社がある
JRのフェリーは 9:10から16:10までの宮島行フェリーが 海中大鳥居前を通る迂回航路のため
観光には お勧めである 松大汽船の直行便の意味は大鳥居への迂回が無いということで
島の住民や観光以外の船客が利用する場合が多い 復路はJR・松大汽船共に直通運行である
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廿日市市大野 経小屋山 標高596.2m 山腹を山陽新幹線の大野トンネルが通る 海上はカキ筏
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標高509mの駒ヶ林(こまがばやし)
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JR西日本宮島フェリー
明治30年(1897)9月25日の山陽鉄道の広島−徳山間延伸に合わせ 赤崎海岸に桟橋を設置し宮島との間に
渡船会社が開業されたのが始まり 明治32年(1899)6月 渡津合資会社に譲渡 翌年 渡津株式会社になる
明治36年(1903)山陽鉄道に買収され 山陽鉄道直営航路となり 明治39年(1906)12月に
山陽鉄道が国有化され 官営鉄道の直営航路になった 大正14年(1925)には新宮島連絡船が開業
これが後に宮島松大汽船となった JR・松大共に同運賃である
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大野浦駅の塩屋漁港から宮島まで 大野瀬戸を通る片道運行のみ 大人1200円で大鳥居へ大接近
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世界遺産指定後 欧米からの観光客が多い 元から米軍岩国基地があるのでアメリカ人の観光客が多かったが
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回廊入り口 廻廊の幅は4m 総延長は約275mある
島全体を御神体とする嚴島神社は 背後に島を見るように海を敷地とし弓状の「遠浅の御笠浜」にある 
干潮の時には大鳥居まで歩いていける程ではあるが 満潮の時は社殿や廻廊が海に浮かんでいるよう見え
幻想的な風景を現す このように刻々と潮の干満で姿を変える海を敷地とする発想は世界でも類を見ない
回廊と本殿・幣殿・拝殿・祓殿などは国宝に指定されている
東回廊
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客神社(まろうどじんじゃ)の祓殿と東廻廊で囲まれた枡形
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祭事には 真っ先に神職がお参りする摂社 客神社 の祓殿
祭神:天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・活津彦根命(いきつひこねのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)
熊野櫞樟日命(くまのくすびのみこと)の五柱の男神が祀られている
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国指定重要文化財の大鳥居と遊覧船「毛利丸弐」
大鳥居は 本社平舞台の先端である火焼前(ひたさき)から88間(160m)の沖合にある
高さ:16m 総重量は約60トン 主柱は樹齢500〜600年のクスノキの自然木で作られており
八代目にあたる現在の鳥居を建立するにあたって 巨木を探すのに二十年近い歳月を要したといわれる
鳥居は海底に埋められているわけではなく 地盤を強化するため海底に松杭を打ち
島居上部の島木を箱型にし その中に石を詰めて加重するなどして 鳥居の重量のみで自立させている
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元亀2年(1571)毛利元就によって改築された本殿の拝殿と祓殿(手前)
祭神は市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神
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西廻廊と大鳥居
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弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子によって再建された反橋 別名・勅使橋(ちょくしばし)
長さ:約24m 幅:4m 創建は鎌倉期以前 天皇家の使者(勅使)だけがこの橋を渡ることができた
真言宗 亀居山 方光院 大願寺
開基は不明 鎌倉時代の建仁年間(1201−1203)に再興されたと伝わる古刹である
明治の神仏分離令までは 嚴島神社をはじめ筥崎宮・宇佐八幡宮などの修理造営を一手に担う寺院であった
かつては 嚴島神社背後地五重塔から多宝塔・経の尾付近までの広大な境内地を抱え多くの堂塔があった
秘仏・嚴島弁財天像は弘法大師空海の作と伝えられ 明治以前は市杵島姫命と同一とされ崇敬を集めたが
神仏分離令によって嚴島神社から同寺に遷座された 他に宮島最古の薬師如来像・千畳閣の釈迦如来坐像
その両脇を守る阿難尊者像と迦葉尊者像・五重塔の三尊像 多宝塔の薬師如来像などが収蔵されている
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仁王門
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嚴島辨財天
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錦帯橋の模型(奉納品)
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辯財天堂の鬼瓦
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護摩堂 厳島大仏 不動明王
大願寺の九本松 クロマツ 樹高:18m
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宮島水族館への道
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多宝塔の坂から展望
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多宝塔
高さ15.6m 室町時代の大永3年(1523)に建立されたと伝わる 純和様を基調とし上層部に天竺
内部には禅宗の様式を取り入れ 上層は円形で下層は方形とし 屋根は上下層とも方形となっている
明治の神仏分離令で管理するものがいなくなり一時は朽ち果てかけていたが 篤志家によって救われ
本尊であった薬師如来像は大願寺に移された
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多宝塔の坂から大鳥居
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紅葉茶屋への道
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厳島のシカは元は野生であったが 春日社の影響を受け 神の使いとして神聖視されるようになって保護された
そのため シカの生息数増加に伴う餌の不足から島内で様々な被害が発生した 現在は野生状態に戻すために
餌やりを禁止するとともに 栄養状態の悪いシカを保護・手当てした後に山に帰すなどの管理を実施している
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宮島ロープウェイ紅葉谷線
標高63mの紅葉谷駅から363mの榧谷(かやたに)駅まで 標高差:300m 距離:約1.1kmをゴンドラで登る
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宮島ロープウェイ獅子岩線
榧谷駅から標高430mの獅子岩駅まで 標高差:67m 距離:約500mをロープウェイで渡る
宮島ロープウェイは 昭和34年(1959)に開業 途中の榧谷駅での入退場はできない
運賃は 片道1000円・往復1800円である 片道を買って徒歩で下りることにする
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弥山登山道から獅子岩駅を見る
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獅子岩駅から弥山山頂まで1km
紅葉谷分岐 帰り道はここから下る
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山頂直下の磐座
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くぐり岩
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弥山山頂展望台
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山頂の磐座(いわくら)は 古代 山岳信仰の対象であった
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大聖院 三鬼堂 三鬼大権現を祀る
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大聖院 霊火堂
大同元年(806)に空海が修法を行った際の霊火が今も「消えずの火」として燃え続けているとされ
火に掛けられる大茶釜で沸かした霊水を飲むと「万病に効果がある」「幸いが約束される」と伝わる
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大聖院 弥山本堂
平安時代の大同元年(806)に空海が弥山を開山し 真言密教の修験道場となったと伝えられる
ただ 空海が厳島を訪れたことを示す物的証拠も歴史的な記録も無く 伝承の域を出ない
山頂 12:30 下山開始 「天然記念物 彌山原始林」と刻まれた石碑のある紅葉谷分岐から下る
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紅葉谷公園 もみじ荘横 13:27 やはり徒歩一時間の距離であった
弥山からの下山中 多くの登山客とすれ違うが ほぼすべての人達と言って良いほど
欧米人達である 中には米軍岩国基地に所属する人達とその家族もいる 「コンニチワ」と挨拶を交わし
道を譲れば「アリガトウ」と言葉を返される 中国語や韓国語を話す人達とはすれ違うことは無かった
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応永14年(1407)に建立されたと伝わる 嚴島神社 五重塔 高さは27.6m
和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で 桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい
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千畳閣と五重塔
千畳閣は 豊国神社(とよくにじんじゃ)本殿の通称で 祭神は豊臣秀吉と加藤清正の霊を祀る
天正15年(1587)秀吉が戦歿将兵慰霊のため 毎月一度千部経を読誦するための経堂として
安国寺恵瓊(えけい)に建立を命じた 畳857枚分の広さがあることから 通称「千畳閣」と呼ばれてきた
秀吉の死後普請が中止され 板壁もなく御神座の上以外は天井も張られていない未完成の状態で現在に至る
江戸時代には 交流の場・納涼の場として人々に親しまれ 大きな柱には当時の歌舞伎役者一行の名や
川柳などが記されている 神仏分離令により仏像は大願寺に遷され 後は秀吉を祀る豊国神社となった
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「ぺった〜ら ぽった〜ら」の歌に惹かれて 腹も空いたので食べてみる
牡蠣も美味いが 穴子入りがもっと美味い
ぺったらぽったら.com<http://pettarapottara.com/pettara/から転載 (右の写真は同HPから)
秘伝のたれの匂いにそそられて口に運べば、外はカリッと香ばしく、中はもちもちの新食感。
安芸の宮島の新名物「ぺったらぽったら」は広島県で育ったもち米・うるち米に
瀬戸内で育った「かき」を乗せたものと中に天然の「あなご」を入れたものの二種類があります。
いずれも無添加・手づくりにこだわって、素材そのものの美味しさをとじ込めました。
そのユニークな食感と心に残る味、潮の香りのハーモニーをお楽しみください。
帰りは松大汽船のフェリー午後2時15分発で宮島口へ 山陽小野田市の本山岬公園に寄って
奇岩と夕焼けの風景を撮るつもりが 宮島で遊びすぎて時間切れの模様 直接九州まで帰る 自宅午後9時着
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