2018.09.26 山口県宇部市 ときわ公園

世界遺産「安芸の宮島」に行く予定で 午前8時に自宅を出て 以前から行きたいと思っていた
山陽小野田市の松井製陶所に立ち寄る しかし一年分の土作りの期間で工場自体は可動していなかった
図らずも 社長の松井 智氏と長時間話しが出来たのは収穫であったかもしれない
耐火レンガで出来た重油窯を そのまま利用した応接室は撮影できなかった
山口県観光振興課 WEBおいでませ山口ブランド館より
須恵焼

松井製陶所は、須恵焼窯元として、明治38年の創業以来、100年以上の歴史を重ね山陽小野田市の
重要な特産として現在に至っています。山陽小野田市は「須恵」の地名が残っているように、
古く先史時代から須恵器の一大生産地として栄えてきました。昭和の初期には、多くの製陶所が
林立していましたが、今では松井製陶所が唯一つとなりました。小野田地域の土は鉄分を多く含んでおり、
耐酸性の器を作るのに適しています。そのため、硫酸瓶の製造を中心に発展し、
現在は、“ねり梅”を入れる容器や高アルコール度の焼酎を入れる容器などの製造が中心となっています。
また、蛸壺などの漁具資材も製造されています。製陶所内には、昔の大窯を改造し、
耐火煉瓦に囲まれたレトロな雰囲気の個室があり、訪問者の交流と憩いの場として愛用されています。
<松井製陶所のPDF資料>
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明治24年(1891)3月 日本舎密製造会社小野田工場(後の日産化学小野田工場)が完成し硫酸の製造開始
その後は塩酸の製造も開始され 貯蔵や輸送に地元特産の須恵器が使われ 製陶所が多く開業し繁栄した
その後は ガラス器や合成樹脂製品に取って代わられ 製陶所は徐々に衰退し 硫・塩酸の製造も
昭和47年(1972)に停止して 日産化学富山などに製造が移った 現在 硫酸工場は残っていないが
小野田工場の前に今も「硫酸町」という通称地名が残っているほか セメント町 火薬町などの町名がある
松井社長がぜひとも行って欲しいと教えてくれた 近代化産業遺産・河野製陶所跡
原料陶土の処理工程施設
明治27年(1894)に この地で三好源之助氏が製陶所を創業 3年後に河野正吉氏(河野製陶所)に
受け継がれて以来 約50年間主として耐酸瓶を1955年まで製造 その後は前面の施設を引き続き活用し
良質な陶土を1970年まで生産 施設の名称(手前より)@原土撹拌槽 A篩(ふるい・石や異物を除去)
Bバック(泥土沈殿槽) Cオロ(泥土の水切りと養生) D盛鉢(陶土の仕上げ)
尚 左手には 百年以上前に築炉された 登り窯の上層部2袋と 最上部の小袋(通称ふかせ=素焼窯)
及び煙突(煉瓦造り)が 製陶所の面影を留めています
上記の諸施設は 経済産業省から平成19年度「近代産業遺産群」に認定されました
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民家の瓶垣
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瓶垣
大量の用途不明廃棄陶磁器
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河野製陶所跡の瓶垣とレンガ煙突
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遺産群の全容は 生い茂る樹木で隠され判らない
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登り窯の煙突
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バック(泥土沈殿槽)
泥土沈殿槽内部 奥の沈殿槽は見えない
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原土撹拌槽と撹拌機残骸
製陶所の瓶垣

竜王山公園
瀬戸内海に面した標高135.69mの山 360度の展望が可能で車で登ることができる <下>市街地パノラマ
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山上には八大竜王が祀られている 傍らの石碑には「長門國竜王金比羅?」の刻文字
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パーゴラ
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西側 長府方向展望
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きららビーチ焼野を眼下に 14:50
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復元 古代の烽(とぶひ=狼煙)
山頂の駐車場
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東側 宇部市の臨海工業地帯遠望
日本の夕陽百選  きららビーチ焼野
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明日は宮島に行くが 天気予報は快晴 でも今は雲行きが怪しい
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対岸は北九州市・苅田町・行橋市
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宇部市 ときわ公園と石炭記念館
常盤池は 長州藩が元禄8年(1695)から3年の歳月をかけ完成した灌漑用の池である 大正13年(1924)から
渡辺祐策らが常盤池周辺の土地購入活動を始め 翌年購入した土地を宇部市に寄贈した 市によって常盤公園が
開設された 面積は1.894平方kmで 動・植物園・文化ホール・遊園地・レストハウス・石炭記念館などがある
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石炭記念館のシンボルタワーは かつて宇部興産の東見初炭鉱で閉山まで活躍した竪坑櫓を移設し
エレベーターを設置して展望台としたもので 高さは地上37m 海抜は65mある
蒸気機関車D51型18号機 通称「なめくじ」と呼ばれ ドームが日本独特の形状の1次型で93両製造された
製造年月日:昭和11年3月17日 汽車製造株式会社 昭和45年10月から昭和47年12月1日まで
国鉄厚狭機関区所属 美祢線で石炭輸送に従事した 展示車両は25‰(パーミル)の勾配で設置され
 静態保存ではあるが 手入れが行き届き状態は非常に良いと思われる
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ボイラー
機関主席
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石炭記念館
宇部炭鉱は 江戸時代から石炭の採掘が始まり 塩田の製塩用燃料として細々と石炭の採掘が行われていたが
幕末に山口藩の石炭局開設を機に採掘が本格化した 明治以降は 東見初・沖ノ山・長生・新浦などの炭鉱に
民間資本が参入し採掘が進められたが 第二次大戦中に長生炭鉱が海水流入事故を引き金に閉山し
その他の炭鉱は宇部興産に合併吸収された 最盛期の昭和15年(1940)には 年間約430万トンが採掘されたが
品位があまり高くなかったことから 硫酸や塩酸の生成や化学肥料への転換 セメント製造の燃料として用いられ
それは 昭和30年代のエネルギー革命後に 宇部の化学コンビナートへと結実していくことになった
昭和42年(1967)すべての炭鉱が閉山し 2年後の昭和44年11月・宇部炭鉱発祥の地に石炭記念館を開館した
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人車
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石炭の原木・メタセコイアと坑内石炭運搬車
メタセコイアは マツ類・スギ科の植物で 約1億4500万年前から260万年前までの白亜紀及び第三紀にかけて
北半球に広く分布していたが 約2300万年前から約500万年前の中新世の終わり頃に死滅したと考えられていた
しかし 昭和20年(1945)に中国湖北省・四川省境の磨刀渓の奥地に自生しているのが発見され
「生きている化石」と呼ばれた その後日本には 昭和24年(1949)に アメリカから渡来した
この「メタセコイアの木」は 昭和44年(1969)11月1日 の開館日に植樹されたものである
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石炭記念館のタワーから北側展望 常盤湖
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同じく東側展望 周防灘
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モデル坑道 木製の坑道支保
モデル坑道 鋼鉄製の坑道支保

ときわ公園 UBEビエンナーレ
UBEビエンナーレとは 山口県宇部市で2年に1度開催されている野外彫刻の国際コンクール及び展覧会で
昭和36年(1961)ときわ公園の一角において「第1回宇部市野外彫刻展」が開催され
昭和38年に「第1回全国彫刻コンクール応募展」 昭和40年には「第1回現代日本彫刻展」が開催され
以降2年毎に開催 平成21年(2009)から「UBEビエンナーレ」の呼称を用いている
ビエンナーレ<Biennale>の原意はイタリア語で「2年に一度」「2年周期」のことで
100年以上続く「ヴェネツィア・ビエンナーレ」がその語源である
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空想の軌跡U Trajectory of meditation U  熊谷 文秀
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風の灯台 Lighthouse in the wind  ナカイデ タケヒコ
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風の灯台 内部は万華鏡
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森の掟 The law of the forest  伊藤 嘉英
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森の掟 内部
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水陸(共生)Land and water(symbiosis)  首藤 晃
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リメンバー宇部 remember - ube  金 景暋
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Megaptera 大きな翼(ザトウクジラ)  神山 豊
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ムー大陸よりU VISITOR FROM Mu NO.U  安藤 泉
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重力飛翔 - はるか かなた GRAVITY FLY -Faraway  佐藤 慈男
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この星の声 Voice of the Earth  土井 宏二
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アフターアップル The after apple  石上 和弘
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りんご りんご apple apple  土屋 昌義  (リンゴ&リンゴ)
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言葉 word  武田 克史
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山河  空 充秋
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宇宙の風景 I  楠田 信吾
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月の庭(一部)  深井 隆
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PONKO94  本郷 重彦
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