2020.11.15 大分県宇佐市安心院町折敷田・下毛 安心院町の散歩

安心院と書いて「あじむ」または「あじみ」と読む 難読地名のひとつである
由来は阿曇(あずみ)が転訛したものとされる 阿曇氏は 古代朝鮮半島南部の任那から北部九州に
展開していた海人族の名で この阿曇氏の居住支配地が 乙巳の変(大化の改新)以降
ヤマト政権の出先機関ともいえる八幡宮(宇佐)の領地となり 安心院と表記されるようになった
また「院内」は安心院に含まれるという意味を持つ 平安時代前期に少宮司であった宇佐氏が
大宮司であった大神氏との抗争を制し大宮司となった これが後々宇佐神宮と呼ばれる所以である
宇佐氏から別れ分家となった宇佐広栄が新たに安心院を名乗り安心院を本貫地とする領主となった
鎌倉時代の正安年間(1299-1302)には 安心院公泰により龍王に城が築かれ神楽城と呼ばれた
室町時代に入ると 豊前守護の宇都宮冬綱に帰属し 子の宇都宮親綱が居城して龍王城と名付けた
南北朝時代の正平14年(1359)に宇都宮氏が敗退し 再び安心院氏の支配となったが
戦国時代当初は周防国の大内氏に属し その後 豊後国の大友氏に制圧されその配下となった
天正6年(1578)耳川の戦いで 島津勢に大友氏が大敗を喫し 好機と見た安心院氏は
他の豪族同様大友氏からの離反を企て 天正10年(1582)安心院麟生(公正)は城に籠城した
しかし 大友氏家来の妙見岳城主・田原紹忍によって麟生は謀殺され安心院氏は滅亡した
秀吉の九州平定後 豊前6郡は黒田孝高(官兵衛)の領地となったが
安心院は大友氏の所領として安堵された 文禄2年(1593)大友氏が改易され龍王城は廃された
慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後は 黒田氏に代わり細川氏が中津城に入り
慶長8年(1603)に細川幸隆が院内安心院1万石を分与され 龍王城を改修し居住した
慶長12年(1607)幸隆が没し中津藩の支城となり 元和元年(1615)一国一城令で廃城となった
寛永9年(1632)松平重直が3万7千石で入封し 龍王城北側山麓に陣屋を構えたが
寛永16年(1639)豊後高田に移封され 後明治まで安心院は中津藩領と肥前島原藩領に分割された
慶応4年(1868)廃藩置県によりそれぞれ中津県・島原県となり 明治4年(1871)大分県が成立
明治22年(1889)木裳・妻垣・古市・上市・折敷田・原・飯田・新原・下毛・荘・戸方の11村が合併
安心院村が発足した 昭和13年(1938)町制施行し安心院町となる
昭和26年(1951)竜王村の一部を編入 昭和30年(1955)深見・佐田・津房・駅川の4村と
速見郡南端村の一部を編入 平成17年(2005)宇佐市・院内町と合併し新設の宇佐市が発足した
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1.龍王陣屋跡(江戸期の陣屋) 2.妻垣神社 3.宇佐市安心院支所(旧町役場)
4.本町(旧市街地) 5.安心院葡萄酒工房(安心院ワイン) 6.道の駅いんない
安心院盆地は 宇佐平野の北部沿岸から南方に直線で約15kmほどに入った山間部にある
西に深見川・東に津房川が流れ 盆地の北端で合流した後 院内町三又で恵良川を合わせ駅館川となる
小説家・司馬遼太郎氏が 脚本家中沢とおる氏に送った書簡で「すばらしい盆地でした。
盆地の景色としては日本一ではないでしょうか。」と絶賛した風光明媚な盆地である
昼夜の温度差が大きく放射冷却による朝霧が有名 ぶどう生産も盛んで
「いいちこ」で有名な三和酒類が 安心院葡萄酒工房というワイナリーを構え多くの観光客が訪れる
また地名由来として 昔・盆地は湖で芦が生えていたことから芦生(あしぶ)とよばれていたのが
後に安心に転じ 中世に宇佐神宮の倉院が置かれたことから安心院となったという説がある
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本町通り鏝絵通りマップ
宇佐市公式観光サイト https://www.city.usa.oita.jp/material/files/group/63/ktee6.pdf
安心院のこて絵
(宇佐観光協会・安心院支部のサイトから転載 http://www.ajimukk.com/kotee/index.html
鏝絵は、左官が壁を塗る鏝で絵を描いたもので、漆喰装飾の一技法で、古くは高松古墳、
法隆寺の金堂の壁画にあり歴史は古い。また天平年間の立体塑にも見られる。
木で心柱を作り、その外側に荒土や白土にすさ糊を混ぜた材料で作るのが鏝絵の源流。
漆喰は、貝殻と木炭を重ねて焼いた灰で作る。
安心院にはこて絵が約100ヶ所、見学できるのは約70ヶ所です。後は崩落したり、傷んでいる。
大分県でも、安心院近辺にこて絵が集中して作られたのは、長野鐵蔵、山上重太郎、佐藤本太郎などの
腕のいい左官職人を輩出したことが第一の要因です。
また、安心院は日田や玖珠と中津、別府を結ぶ交通の要となっていたことから、
各町村との経済交流が盛んで、比較的に裕福な家庭が多かったことにある。
安心院こて絵の特徴:他県のこて絵が精巧で緻密な仕事をしているのに対し、安心院こて絵の特徴は
緻密さよりもユーモラスな雰囲気を持った大らかさにある
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よこいよ公園 「一富士・二鷹・三茄子」
明治23年 左官:長野鐵蔵 
佐藤家 「恵比寿・大黒・鯛の三番叟」
明治28年 左官:長野鐵蔵
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ファッションコア カワノ 「恵比寿と弁財天 敬若是良才」 平成13年 永田知徳
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やまさ旅館の掲示板
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やまさ旅館 「東椎屋の滝のぼりの鯉とすっぽん」 「美味求真(びみぐしん)」
平成16年 永田知徳
美味求真は大正時代発刊のベストセラー料理本(木下謙次郎著)で スッポン料理を全国に紹介した
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佐藤印刷 「虎」  平成14年 江藤智子
ほとんど彩色が施されていない鏝絵 虎は 家族に寅年生まれが多いことと魔除けとして
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佐藤家 「虎」  明治20年代 高吉
元は500m南の折敷田にある勝見家にあったもの 佐藤家は築100年の旧家
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安心院印刷 「鼠」  平成14年 後藤五郎
社長夫妻が子年生まれであることと 多産なネズミに子孫繁栄を込めて 家業に合わせ
ペンとインクをあしらい ネズミに着物を着せ下駄を履かせた明治のバンカラ族風が面白い
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移設鏝絵 元筌ノ口・江藤家の蔵にあったもの 明治20年代 左官不明
因幡の白兎伝説に因む 波は水で火除 兎は山の神の使いで安産・多産であることから
子孫繁栄と家内安全を祈願 三つ引紋は江藤家の家紋
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下毛公民館 「布袋様」  平成26年 永田知徳
家族旅行村の展望台に腰掛け 安心院盆地を見下ろし 永いキセルで煙草をふかしながら
「下毛の里に福来留」と招福を祈願する図 公民館の新築を記念して制作
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山上理髪店 「子供の散髪」  平成16年 江藤智子
博多人形をモチーフにし 兄がワンパク坊主の弟をつかまえ 無理矢理バリカンで髪を刈っている
ベーゴマを持った弟の頭は虎刈りになっている 当家には二人の子息がいてともに理容師になった
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深見川の馬場橋 宇佐往還の主要な橋であった
右写真は大正初期の馬場橋(木造橋)
右手前の藁葺き屋根の家は縣屋酒造の米搗き場
上流から流れてくる水で水車を回し 酒米を搗いていた
対岸が下毛本町の家並み
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自然石の欄干親柱にスッポン
縁起担ぎ 鯉の滝のぼり
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日出生台東部を源とする深見川
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葛城家妻壁 「駆ける馬」  平成19年 江藤智子
子馬を囲んだ八頭の馬が駆ける 八頭に末広がりの繁栄を託した
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安心院大字下毛 三女(さんみょう)神社頓宮 本宮は500m程東の大字下毛字三柱に鎮座する
祭神:宗像三女神  田心姫・湍津姫・市杵島姫
高天原で天照大神と素戔嗚命の誓約によって生まれた三女神は 葦原の中の宇佐嶋に降臨した
宇佐嶋とは この宇佐郡安心院邑にして筑紫君等がこれを祀るとある
江戸時代には 島原藩の庇護のもと島原藩山蔵組大庄屋配下の22ヵ村の氏神として崇敬された
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大銀杏 樹齢200年以上?
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堀菓子舗 「恵比寿とスッポン」 平成16年 江藤智子
堀菓子舗は「銘菓スッポン」が有名 なので恵比寿には鯛ではなくスッポンを釣ってもらった
四隅には落雁の菓子を配している テグスと釣り竿は本物
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上鶴家 「松と鶴」  平成10年 永田知徳(第一作目)
上鶴の姓に因んで「鶴」を絵柄に 松は不老長寿の願いを込めて 文字は「樹上双棲丹頂鶴」
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賀来家妻壁 「唐獅子と竹」  明治20年代 高吉(正憲)
唐獅子とはライオンのことで文殊菩薩の使いとされ 子供が賢く育つ願いが込められている
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縣屋(あがたや)酒造 「毘沙門天・弁財天・布袋」
平成16年 江藤智子
大きな樽の前で麹を混ぜているのは杜氏の毘沙門天
美味そうに酒を酌み交わすのは布袋と弁天さん

創業は江戸時代の正徳2年(1712)初代重松徳左ヱ衛門義徳
左写真は昭和初期の縣屋酒造
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市指定史跡 明治17年建築 重松家別邸
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特徴的な丸窓
昭和55年の写真 通り側の壁は塞がれている
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魔除けの「虎」と日本一の「富士山」  明治17年 左官:長野鐵蔵
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火除の神「龍」  明治17年 左官:長野鐵蔵
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左が縣屋酒造 現在の蔵は明治10年頃の建築  右が蔵主の重松家 明治17年建築
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ギフトとVベルトの店 かわの 「大黒様と発動機」  平成16年 石田覚蔵
昔は農機具販売を生業としていた 古いクボタの発動機を絵にした 大黒は豊穣の神である
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豊田家 「豊饒の田」  平成16年 江藤智子
前町農業委員会委員長の宅 架け干し 足踏脱穀 藁こ積み 向こうに豊後富士の由布岳
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岸田パン店 「布袋さま」  平成16年 石田覚蔵
布袋は弥勒菩薩の生まれ変わりとされ 福徳・子孫繁栄・商売繁盛の神
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平松理容店 「松と猪と墨つぼ」  平成16年 江藤智子
不老長寿の松は姓から 猪は猪突猛進を願う主人の干支 墨つぼは主人が大工の棟梁であることから
百華草庵 志め乃亭(〆野家)
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鶴と亀
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「松と鷹」  明治20年代 高吉(正憲) 院内町佐藤家二階戸袋の鏝絵
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「招き猫」  昭和初年 左官:不詳  双対の左手猫は県立博物館に収蔵 材質はモルタル
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百華草庵 状態からは古物商? 正体不明
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桐田印刷 「歌舞伎役者」  平成16年 石田覚蔵
飾り熊手は福をかき集める縁起物 歌舞伎ひい屓の先代社長の名・長義の「長」を背に見得を切る役者
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ギャラリー桐呼 「風神」  平成18年 金森博美
ギャラリー桐呼には 金森博美の鏝絵作品が多く展示されている
しばしば深い底霧に包まれる安心院盆地は 朝夕の気温差が大きくブドウの栽培に適した土地である
「西日本一のブドウ団地」をスローガンに 昭和41年(1966)から産地が育成され
現在では標高120〜330mの丘陵地に造成されたブドウ団地を中心に 栽培面積160ha
約170戸の生産者が 年間1300トンものブドウを栽培する広大なブドウの産地となった
また 安心院町は「観光ぶどう園」の歴史も古く グリーンツーリズムの先進地とも言われている
平成13年(2001)「いいちこ」の三和酒類(株)によって安心院葡萄酒工房が設立され操業開始
平成20年(2008)に「ツーリズムのまち宇佐・ハウスワイン特区」の認定を受けたことで
平成22年(2010)に農業者共同による「小さなワイナリー」が創業した
安心院葡萄酒工房
杜の中のワイナリーをイメージした園内には醸造所・貯蔵庫・ブドウ畑・ショップなどが点在し
四季折々の美しい佇まいを見せてくれます
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製造工程やブドウ畑の見学・試飲や購入もできる 最上部の丘には盆地が一望できる展望台がある
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ワイン醸造場
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標高167mの安心院葡萄酒工房展望台
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鶴見岳・由布岳(豊後富士)遠望
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ぶどう畑
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ワイン貯蔵庫
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