2018.12.12 福岡県八女市 城下町・八女福島の散歩
主要地方道である福岡県道52号八女香春線は 緊急輸送道路に指定されている路線ではあるが
久留米市と八女市の間に横たわる耳納峠は 隘路と急勾配・急カーブが連続し 冬季には積雪も観測される
難所である ここに延長2.6kmの合瀬耳納トンネルが2014年7月に着工された しかし うきは市側に
想定外の脆弱地盤が出現し 当初予定していた工期が1年以上延長され 2018年12月8日にようやく開通した
日田からは 約40ヶ所以上のカーブが短絡できる上 久留米市内を通ることなく柳川・武雄・長崎方面に
また九州道八女ICへのショートカットとして 九州南部への距離短縮も図ることが出来る便利な道となる
トンネルの開通を見越し残してあった 長年懸案の「八女福島の町歩き」をする
八女(やめ)郡福島町から八女市へ
八女は 矢部川本流と支流・星野川が形成し東南北の三方を丘陵と山地に囲まれた標高30m前後の扇状地にあり
古くから人が住み縄文・弥生の遺跡が多く残されている また北側の標高50m前後の丘陵地には数百基の
古墳群があり 古代豪族・筑紫君磐井氏の拠点でもあった
八女という地名由来の最も有力な説は 『日本書紀』の 景行天皇の巡幸(考古学上では4世紀)の折り、
筑後国水沼郡(三潴郡)一帯を支配していた県主である水沼猿大海(みぬまのさるおおみ)が
「この地方に女神あり。 その名を八女津媛といい、常に山中におる」と奉上したとされる記述が元となっており
この女神を祀る八女津媛宮が 語源および由来と関連づけて伝承されている
その他 神楽舞を奉仕する8人の巫女を指す「八乙女」が略されて「八女」となったという説や
湿地に沿う土地を表す「山辺(やまべ)」から転訛したとされる説などがある
「磐井の乱」の大和朝廷による平定後は 筑紫国南部の要衝として発展し 戦国時代は柳川蒲池氏の支配を受けた
秀吉による九州平定後は 筑紫広門が上妻郡1万8千石の所領を与えられ領主となり 福島村に平城を築いた
江戸時代に入り 石田三成捕縛の戦功により筑後一国32万石の領主となった田中吉政によって
久留米藩支城となる福島城を 三重掘三層天守の筑後地区最大級の平城として改築し城下町も整備した
元和元年(1615)幕府の一国一城令の発布により廃城となったが 形成された城下町の町家部分は残された
元和6年(1620)に田中氏が無嗣改易となりその所領は分割され 久留米藩有馬氏21万石の統治下に入り
有馬氏の庇護をうけて藩内最大級の在郷商家町として発展し明治に至る
明治29年(1896)上妻・下妻の両郡が統合して八女郡が発足 郡役所が福島町に設置された
昭和29年(1954)3町21村に拡大していた福島町が 川崎・忠見・岡山の三村を編入し八女市となった
平成22年(2010)黒木町・立花町・矢部村・星野村が八女市に編入された
福島城には三重の堀が巡らされ 北側に武家地や役所を配し
同じく外堀と中堀間の南側に往還道を迂回させその道沿に町家を配した
明治の八女福島は 往還道路沿いの町並みは依然として中心街として栄えたが 明治後期 町の北側に
柳川から黒木・星野へ通じる福岡県道が 東側には福岡から鹿児島に向かう国道が整備された
明治24年(1891)熊本まで延伸した九州鉄道の駅として羽犬塚駅が開業し 同駅から馬車による南筑軌道が
久留米からは 大正2年(1913)に三井電気軌道(西鉄福島線)がそれぞれ福島まで通じた
第二次大戦後まで繁栄は続いたが 昭和40年代以降のモータリーゼーションや それに伴う
国道バイパスの完成 高速八女インターの開設 西鉄福島線・国鉄矢部線の廃止などによる交通手段の変化で
町の状況は一変した 商店街が並ぶ福島中心部から商業機能が奪われ バイパスや環状線道路沿いの郊外に
拡散することとなった これによって往還道沿いの戦災を免れた古い町並みの矢原町・古松町・京町・宮野町
紺屋町などに伝統的町家建築が多く残されることとなった
町家は間口が狭く奥行きの長い敷地割に 居蔵と呼ばれる妻入入母屋大壁塗込造を基本とする防火土蔵造りで
江戸時代以降 度々大火に襲われたことから 江戸末期から明治にかけて建てられた建造物である
平成14年(2002)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された

国鉄矢部線
久大本線豊後森駅から小国・鯛生を経て鹿児島本線の羽犬塚駅に至る計画のもと
大正11年(1922)の改正鉄道敷設法第111号ノ2により規定された「福岡県羽犬塚ヨリ矢部ニ至ル鉄道」である
昭和11年(1936)に起工され 戦争激化によって鉄道敷設計画が次々と中止となる当時においても
沿線に軍事施設や関連工場が多いため建設工事が続行され すでに路盤が完成していた羽犬塚から黒木までが
昭和20年(1945)12月に開業された 日本の敗戦によって太平洋戦争が終結してからわずか四ヶ月で開通した
記念すべき路線であった 将来的には 鯛生金山付近を経て国鉄宮原線の肥後小国までの延伸計画であったが
黒木より先への延伸は成らず 昭和60年(1985)4月1日に全線廃止となった
なお 路線名の「矢部」は計画未成線の終点とされた八女郡矢部村が由来である
羽犬塚を除き開業された駅は 花宗・鵜池・蒲原・筑後福島・今古賀・上妻・山内・北川内・黒木の9駅である
文化池(八幡濠)の由来
かつて慶長7年(1602)ごろ田中康政が、この地(現在の八女公園地区)に福島城を築いた時に内、中、外濠と
三重の濠をめぐらして城を守った。この文化池は、かつての福島城より東南の角にあたる外濠の一部です。
時代は代り文化元年(1804)に、福島町、福島村、稲富村農民の強い要望に依って許可され、
この文化池は三ケ町村の農民が総動員して、一層広く堀り広げられ、灌漑用水池として完成した。
文化年間に造られたので、この池を「文化池」と名付けられた。この池の西側に「水神」の碑が建っているが、
その碑の裏面に大きく「文化池」と刻まれている。(郷土史研究家 石橋正良氏の記録より)
その後百数拾年が経過し汚れた家庭用水などの流入により、池は次第に浅くなり、水量も激減し、
環境も最悪の状態になったので灌漑用水溜池の修復、環境の整備と美化、文化財永久保存のため、
市の事業として大改修工事が行われ、昭和63年3月現状の文化池が完成した。
平成2年11月12日 文化池を美しくする会

福島八幡宮
旧福島城内町民の氏神として 廃城後の寛文元年(1661)に櫓台跡に建立された
祭神は応神天皇・神功皇后・武内宿禰の三柱
毎年9月・秋分の日を含む3日間は 260年以上の歴史を持つ放生会大祭が盛大に開催され
国指定重要無形民俗文化財に指定される『八女福島燈篭人形(からくり人形芝居)』が奉納される


社伝によれば 延暦3年(784)に宇佐神宮を勧請し 福島村土橋と稲冨村の氏神として村境に創建された
慶長6年(1601)久留米城主・田中吉政が 福島城を改築する際に町割りの一環として現在地に移築した
土橋八幡宮御神幸行事は江戸時代前から続く伝統行事で 10月17日に八幡宮で神事を行い
その後神輿が稲富のお旅所まで神幸し 二晩のお籠りのあと 19日に土橋の八幡宮に帰還する




元造り酒屋の横町町家交流館
北棟・弘化2年(1845)南棟・大正7年(1918)建築 入館無料
堺屋 旧木下家住宅離れ 明治41年(1908)竣工
代々酒造業を営み山林業で栄えた 昭和63年(1988)八女市に寄贈 平成3年(1991)修復




文政年間(1818−1830)創業の造り酒屋 喜多屋









