2016.05.20 美々津散歩(都農神社・矢研の滝・美々津海岸遊歩道)

今日のメインは 重要伝統的建造物群保存地区の「美々津」を散歩することだが
東郷から「道の駅つの」に移動し 隣接する都農神社の境内を早朝散策

日向国一宮 都農神社
主祭神の大巳貴命(おおなむちのみこと)は大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一神とされる
明治以前は「宮崎宮」や「宮崎社」とも呼ばれ 神武天皇即位の6年前に東征に向かう際に
海上平穏と武運長久を祈念し祭神を祀ったとされ 神社北方の美々津の浜から船出したと伝わる
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正面参道の鳥居
太鼓橋
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新緑の雨に洗われる社叢
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楼門
平成19年竣工の真新しい御社殿

都農神社の石持ち神事
都農神社に古くから伝わる信仰で 願い事を「神の石」に託し神社に納める参拝方法である
楼門にある「神の石」を受け持ち 神殿に供えて(賽銭箱に供える台がある)参拝し
本殿裏の「神の石納所」に納める
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<本殿裏の「神の石納所」>
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撫で大黒は大国主命(大黒様)
撫でウサギは因幡の白兎
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一の宮公園
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天気予報では晴れだが 朝からそぼ降る「春の雨」 このあと尾鈴山の瀑布群を訪ねる予定なのだが
矢研の滝
尾鈴県立自然公園内にある尾鈴山瀑布群の一つで 日本の滝百選に入る名瀑である
尾鈴山(1405.2m)東の角崎山(171.1m)の麓 名貫川上流の矢研谷にかかる落差73mの滝
「矢研」の名は 神武天皇が東征を控え この滝の水で矢を研いだという伝説に由来している
雨が降る中 尾鈴キャンプ場から徒歩25分で「矢研の滝」に至る キャンプ場に再び戻るが
西側の欅谷遊歩道は熊本地震の影響で通行止めとなっていて 白滝に至る瀑布群は見ることが出来なかった 
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キャンプ場にある案内図
途中にある「二見の滝」かな(?)

支流にある若葉滝
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 矢研の滝 これより先は立入禁止
 <下>神社と刻まれた石碑と滝
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美々津散歩
<美々津町並みガイドマップより>
神話伝説と廻船問屋の繁栄の歴史を今に伝える美々津  〜人と風土が育てた港町〜
重要伝統的建造物群保存地区
江戸・明治時代の白壁土蔵の町並み残る「美々津」。関西との交流の主役となった廻船問屋の活躍が
『美々津千軒』と呼ばれた繁栄の歴史をもたらしてきました。
美々津の歴史

美々津は古くから海の交易の拠点として歴史を刻み、町の背後にある遺跡からは、畿内、瀬戸内様式の弥生土器が
出土しています。このことから、美々津が相当古い時代から該地との交流があったということを裏付けています。
美々津が、港町として成立するのは江戸時代初期の元禄の頃 (1688~1703)からで、当時は高鍋藩領に属し、
藩主秋月氏の支配をうけていました。高鍋藩は3万石高の外様大名で、美々津は城付地に属し、城下に所在する
蚊口浦と共に藩の重要な港町となっていました。特に藩主の参勤交代時には御出船、御入船の港に指定されており、
いち早く秋月氏の屋敷が建てられていました。さらに、港近くには津口番所や藩蔵も建てられ対岸の幸脇地区や
上流の余瀬地区にも番所が置かれ、城下から代官や蔵役、番人などが派遣されていました。
美々津を経済の面から支えていたのは、千石船を所有する廻船業者たちで、かれらは、備後屋、明石屋、播磨屋、
泉屋などと言った瀬戸内や畿内の地名を屋号とし、耳川上流の入郷地区で生産された材木や木炭などを
大阪方面に向け出荷していました。その帰路の際、関西地方の特産品や美術工芸品 を多く持ち帰り、
地域文化の担い手としての一面も有していました。かれらの活躍がやがて「美々津千軒」と言われるほどの
繁栄をもたらすこととなり、明治から大正時代にかけて最盛期を迎えることとなりました。
しかし、潮や風の影響を受けやすい帆船を使った古い航海法に頼りきっていたことや経営そのものが
江戸時代の旧態から脱却しきれていなかったこともあり、大正12年の国鉄日豊本線開通を契機に廻船業は
衰退していくこととなりました。主幹産業を失った美々津は、近郊の商業地域としての命脈は保ってきましたが、
高度成長期における諸産業の飛躍等に伴い、現在では小さな港町となっています。
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日向市美々津伝統的建造物群保存地区平面図 <拡大>
神武東遷物語
美々津は、日向神話の神武東征説神話の御船出伝説地として知られています。
初代・神武天皇は、「ここは国を治めるにはどうも西へ寄りすぎているようです。東方に青山をめぐらした
美しい国があって、すでに饒速日命(ニギハヤノミコト)という者が国を拓きつつあるとか。
そこへ行って、まつりごとをするにふさわしい都をつくりましよう。」のちの日本書記にも描かれる 「神武東遷」。
歴史の基礎は、日向市美々津の港から始まりました。
◆日向市歴史民俗資料館(有料)TEL0982-58-0443 ◆まちづくり塾「美々津軒」(無料)TEL0982-58-1229
◆お休み処「美々津まちなみセンター」(無料)TEL0982-58-0661 ●休館日/月曜日●開館時間/9:00-6:30
社団法人 日向市観光協会 TEL0982一55-0235
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美々津港の駐車場(無料)に車を停めて中町通りの坂を登る
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各家の郵便受けに付く神武東遷お船出地を表すレリーフ
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古い石畳のツキヌケ(防火区画)
オリジナリティ溢れるポスト
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栄華を偲ばせる蔵屋敷
旧下町共同井戸と水神様
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バンコ(縁台)語源はポルトガル語の<Banco
類焼を防ぐ防火区画「ツキヌケ」

日向市歴史民俗資料館
昭和55年(1980)日向市に寄贈された市指定文化財の伝統的建造物の「旧廻船問屋・元河内屋」は
美々津でも屈指の廻船問屋であった 昭和57年(1982)に国と県の補助を受け
この「河内屋」を 安政2年(1855)の姿に復元し「歴史資料館」として開設された
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復元前の河内屋 1階平面図
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中庭
中庭のつくばい
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出窓の京格子
中二階の屋根裏部屋(用人部屋)
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中庭
虫籠窓
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美々津散策
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現在 美々津で最も古い建造物である「矢野家」は天保4年(1833)の建築
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海岸に一番近い共同井戸
旧中町共同井戸
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日向灘と美々津の町並み
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沖合の岩礁「七ッバエ」
昭和天皇御大典記念として設置された水道
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「旧美々津郵便局」前の通り
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赤いポストが懐かしくもよく似合う「旧美々津郵便局」
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旧美々津診療所
二階のステンドグラス
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謎の手作りオブジェ
ルアーの「お魚さん」も参加
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月交代で変わる路側帯の駐禁 旅人は要注意
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立縫公民館前(立縫の地名は神武天皇の故事に習う)
旧上町共同井戸
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原田畳店
高札場跡
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上町通り
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中町公民館(?)の時計窓
旧中町共同井戸 中町には共同井戸が二箇所ある
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美々津なちなみセンター(お休み処)
美々津軒
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美々津軒 新ひむかまちづくり塾 明治時代の建築「旧矢野家」
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旧備前屋
上町通り
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「日本海軍発祥の地」碑
神武東遷の折に水軍が組織されたという言い伝えから「日本海軍発祥の地」としている
戦前の国粋的雰囲気で造られ碑形は波頭を表している
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立磐神社
駐車場の美々津港

美々津海岸遊歩道
道の駅・日向サンパーク「お船出の湯」から 民宿久恵のある「たぶ峠」まで全長約3kmの遊歩道
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日向サンパークの案内板 今回は「フクトが浦」まで500m程歩く
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フクトが浦は「クサフグ」の産卵地
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風が強く「波しぶき」が体にかかる 今回の旅はここまで PM14:10
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帰路 熊本地震後初めて見る 瀬の本高原からの阿蘇五岳遠望 PM17:35
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