2015.02.11−12 鹿児島県指宿市 指宿市の山川町と開聞町を散歩
旧 揖宿郡(いぶすきぐん)山川町と開聞町の歴史
「旧高旧領取調帳」によれば 明治初年の揖宿郡には 今和泉郷:岩本・小牧・池田・利永・新西方の5ヶ村
指宿郷:東方・拾町・拾弍町・西方の4ヶ村 山川郷:成川・福元の2ヶ村 合計11ヶ村あり全て薩摩藩領であった
明治4年(1871)廃藩置県により鹿児島県の管轄となった 明治12年(1879)行政区の揖宿郡が発足
川辺郡・頴娃郡とともに知覧郡役所の管轄となった 明治22年(1889)今和泉・指宿・山川の各郷が村となった
明治30年(1897)頴娃郡頴娃村・給黎郡喜入村を編入 揖宿郡は5ヶ村となる
昭和5年(1930)山川村が町制施行で山川町に 昭和8年(1933)指宿村が町制施行して指宿町となった
昭和26年(1951)頴娃郡頴娃町の仙田・十町が分立して開聞村が発足 昭和29年(1954)指宿町・今和泉村が
合併して指宿市が発足し郡より離脱 昭和30年(1955)今和泉村から分離した利永村が開聞村と山川町に
分割編入され 同時に開聞村が町制施行し開聞町となった 平成18年(2006)山川・開聞2町が指宿市と合併した
この田の神像は、明和8年(1771年)に成川下原の二才中が造立したものです。
220年をへて、シキをかむった表情が、かすかに偲ばれます。
短い上着にタスキをかけ、下は裁着け袴をつけています。右手には、小さなメシゲ、左手には、団子ふうの
物をのせています。薩摩地方に多く見られる田仕事姿の田の神像です。おそらく、
成川の開田事業をおこなった時の水田稲作の守護神として作られたものでしょう。
均整のとれた安定感のあるこの像は、古い田の神像の南限を示すものとして貴重なものです。
右が明和年間に造立された田の神 左の田の神は台座に大正十五年と刻まれている


古くは「開聞の御池」や「神の御池」と呼ばれ龍神伝説がある 1960年代初頭から池田湖には未確認巨大生物が
存在していると噂され ネス湖のネッシーになぞらえて「イッシー」と呼ばれたが 現在も未確認のままである
池田湖のある窪地は池田カルデラと呼ばれ 約6400年前に火山活動によって形成された
直径:約3.5km 周囲:15km 水面標高:66m 水深:800m 湖底には高さ150mの火山がある
指宿市池田 新永吉の棚田
池田湖東北岸の緩やかな斜面に広がる約95枚の石積み棚田 総面積は約3.4haある
おおよそ鎌倉・室町期と思われる中世の 清見岳城主・池田信濃守が作ったのが始まりと伝わるが定かではない
県道の入口付近で猿の群団に遭遇

2泊目は 道の駅山川港活お海道で車中泊

指宿市開聞十町 唐船峡公園(京田湧水)の指宿市営そうめん流し
「回転式そうめん流し」発祥の地
昭和37年(1962)開聞町の国民宿舎事業として 竹樋を使用したソーメン流しを開業したが 竹樋の製作や
衛生面の維持管理の難しさで経営難となって1年で頓挫した その後 鹿児島市の鶴丸機工商会と開聞町の
共同開発によって 昭和42年(1967)に「回転式そうめん流し器」が考案制作され開聞町に特許譲渡された
昭和44年(1969)唐船峡公園の整備が行われ 国民宿舎事業から独立「唐船峡公園町営ソーメン流し」に
名称を変更した 以降全国に「回転式ソーメン流し」が普及し シェアの80%を鶴丸機工が保有するが
電気も使わず保水タンクによる自然落下水力利用の本器は 買い替え需要が少なく新規参入は無いに等しい









