2012.10.14  西海市の旅

西海市は 西彼杵半島北部の西彼町・西海町・大島町・崎戸町・大瀬戸町からなり 長崎市と佐世保市との
中間に位置しています 大島町と崎戸町は 平成11年に開通した大島大橋により本土と結ばれています
半島部の東岸は波静かな大村湾に 西岸は五島灘・角力灘に面し 崎戸町の江島・平島・大瀬戸町の松島
などの島々を有しています また本地域は西海国立公園・大村湾県立公園・西彼杵半島県立公園の3つの
自然公園に指定されており 美しい海岸線など優れた自然景観を有しており 気候も温暖です
西海市HPより転載

石原岳堡塁の歴史
この堡塁は 記録によると 佐世保軍港防衛のために明治30年(1897)10月21日に起工し
明治32年(1899)12月31日に竣工したもので 全面積は約2ha(20000平方m)あります
標高73mから77mに備えられた砲種は クルッブル式10センチカノン砲6門 鋼製9センチ臼砲4門
砲座数は7基となっておりました この後 昭和4年(1929)6月14日には 陸軍の台帳から全部が除籍されました
(佐世保要塞築城史より) 平成7年3月 長崎県 西海市
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早朝で無人であった 通常では管理人がいて壕舎の中に照明が入るはずである

歴史に「もし」があったなら ここが長崎だった
16世紀半ば 平戸を追われたイエズス会は 横瀬浦の領主である大村純忠と開港協定を結び この地を布教の
新天地として大いに栄えました この丘には教会が建てられ 周辺には繁華街が立ち並び 多くの人々で
賑わいました この繁栄の様子は「日本史 」の執筆で有名なルイス・フロイスが克明に記しています
しかしこの繁栄を快く思わない純忠の義弟によって わずか1年後に街ごと焼き尽くされてしまいました
もしそのまま街の繁栄が続いていたならば 横瀬浦が長崎であった可能性が大きいのです
横瀬浦は 永禄5年(1562)大村家の領主 大村純忠が 平戸を追われたポルトガル人の貿易船を回航するように
勧誘して開かれた港です 布教長トルレス はこの港を「御助けの聖母の港」と命名 貿易と信仰の村を
またたく間に作り上げた大村純忠は 何回となく横瀬浦を訪れ みずからも重臣25人とともに洗礼を受け
日本初のキリシタン大名となりました しかしこの港は 翌1563年暴徒たちによって焼き払われ わずか
2年足らずでその歴史を終わり 1571年長崎の開港へとつながります 横瀬浦は長崎における
キリシタン文化発祥の地となりました 今でも 往時をしのばせる天主堂跡 大村館跡 南蛮船来航の記念碑
などの史跡が点在しています  Link:さいかいシティ・ねっと
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横瀬の港に入る貿易船は、八ノ子島の十字架を目印にしてきました。いまその島の頂上に白く輝く十字架は
昭和37年(1962)に復元したもので、横瀬浦のはなやかな歴史を物語るように、各所にその史跡が見られます。
今よりもっと深かった入江には、船つぎ跡が残っている石垣のあたり一帯がそれであり、
上町、下町の名称が残り、当時の面影を伝えています。
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八ノ子島と復元された十字架
標高306.6mの 虚空蔵山
虚空蔵山・展望台は 文化財の「猪垣」をモチーフとして地元産出の結晶片岩で作られた360度の展望台
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右上写真:県指定有形民俗文化財「西彼杵半島猪垣基点」
「猪垣」とは 猪や鹿などの食害から田畑の作物を守るために築かれた石垣である
一般的に「ししがき」と呼ばれているが地域によっては「いがき」「いのがき」などの呼び名もある
ここ西海市西海町中浦北郷字木場に所在する玄武岩の一つに幅約10cm角 深さ2mm程で 2行にわたり
「享保七□寅年に(□は剥げ落ちて判読できない部分)と刻まれた年号が認められる
享保七年(1722)の干支は壬寅であり □には「壬」が刻まれていたと推測されている
伊佐ノ浦ダム
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コテージ・バンガロー・サイクリングなどが楽しめる伊佐ノ浦ダムの湖畔伊佐ノ浦公園
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遊歩道の白野吊り橋
西海市大瀬戸 やすらぎ交流拠点施設 音浴博物館
創始者 栗原榮一郎氏(出生:昭和22年6月福岡県−平成17年5月永眠享年58歳)が  岡山市でレコードや
古い音響機器を集めて開業していたが きわめて私的な施設であった 当時借りていた倉庫が取り壊される
ことから 移転先を探してインターネットで全国の自治体に場所の提供を呼びかけたところ
3日後に長崎県庁から返事があり 早速用意された3か所を視察した結果 現在の場所に決定した
2000年11月に 10トントラック4台分の所蔵品を岡山から長崎に移送した 翌2001年4月に音浴博物館を開館
現在 SPレコードが約1万枚 LP盤・EP盤など15万枚が所蔵されているが この場所を知った人の中から
数十枚単位で寄贈されて今も増え続けている エジソンが発明した蝋管式蓄音機・再生装置はじめ
1世紀以上経った演奏機 レコード SP盤などを演奏し視聴することができる施設で 貴重なスピーカーなどでも
聴くことができる 栗原榮一郎氏の意思による博物館の基本的なコンセプトの1つが その名が表わすように
「音を浴びる」=「実際にスピーカーで再生し空気を通じて全身で音楽を感じる」と言うことである
JBL・タンノイをはじめ高級スピーカーも実際に鳴らすことができる 特に1950年代の名機の一つ
「ビクターオーディオラ」は 世界遺産級と称える人がいるほど公共の場で視聴できるところは少ない逸品である
エルヴィス・プレスリーが、ハウンドドッグのレコーディングモニターとして使った写真も残っている
館内は昭和が凝縮された空間で 音及び映像のアナログ機器がぎっしり詰まった癒やしの場である
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古いスピーカーが並ぶオーディオルーム
レコード室
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カメラコレクションの棚
日本初のテープレコーダー
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8ミリカメラ 8ミリ映写機
楽器もある 音と映像の蔵
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