2024.04.16 福岡県小郡市福童 大中臣神社の将軍藤

大中臣神社(おおなかおみじんじゃ)

平安時代の斎衡3年(856)の『筑後国神明帳』に「西福童大中臣神」の神名が記載されており
1100年以上前には 既に当神社が存在していた証とされているが 創建年は不明である
小郡市文化財に指定される楼門は 天保6年(1835)に甘木の藤次郎を棟梁として再建され同年12月に上棟した
拝殿の扁額には 住吉大明神・大中臣大明神・春日大明神とあり 明治の神仏分離令の明神信仰の禁止により
主祭神を 藤原氏(中臣氏)の祖神である天児屋根命(あまのこやねのみこと)とした

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楼門
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神紋は 藤原氏の「下り藤」ではなく なぜか「丸に剣片喰」それも調べれば上下が逆

将軍藤

南朝元号の正平14年(1359)8月 懐良(かねよし)親王・菊池武光ら南朝の征西府軍4万人と
少弐頼尚(しょうによりひさ)・大友氏時らの北朝軍6万人が九州の覇権をめぐって激突した筑後大保原合戦で
懐良親王が手傷を負った際 大中臣神社に平癒祈願したところ 神の御加護によって快癒したことを謝し
この藤を奉納したと伝えられている 懐良親王が征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)と呼ばれたことから
将軍藤と名付けられた 現在この藤は根元周囲約3m 胸高周囲2mあり 地上高さ1.7mから幹が分岐し
高さ2mの棚の上に枝が広がり その被覆面積は204平方mに及ぶ
樹勢は旺盛で 樹齢は約660年以上と推定され 1970年に福岡県指定天然記念物に指定された

昨年訪れた時期は花の大半が散り 足元に落ちた数多くの花弁が風に舞うような状態であったが
今年は 昨年より若干開花も遅く また5日早く訪れたことで 花の香が境内一円に漂うほどの満開であった

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将軍藤 藤棚の総面積は500平方mある 根元周囲約3m 胸高周囲2m
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2023.04.21 福岡県小郡市福童 大中臣神社の将軍藤

小郡市観光協会のホームページには 「近年、藤の開花が早く、GW頃には藤の開花が終わりを迎えています。
お早めにお越しください。」とあるが 21日時点で9割以上の花が散っていた

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若葉が茂り花も終焉の時期 足元には枯れた花弁が散っている
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季節が早く進み クマバチも密集めが大変そう
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