2016.07.28 山口県下関市大字内日上字猿山 下関市水道局 内日(うつい)第一貯水池取水塔

下関市に国内9番目となる上水道が敷設された明治39年(1906)に竣工された取水塔 貯水池の南端にあり国の登録有形文化財に指定
煉瓦造の円筒形で頭頂部を御影石で固め 上部に高さ約2.8m・外径約3.3m・内径3.0mの上屋が乗る 水中を含む塔高は23.1m
上屋は塔と同じ煉瓦造で 屋根は昭和48年(1973)に銅板葺きとなった 創設期の上水道施設で 今も稼働する数少ない事例である

取水塔や約11.5km南方にある高尾浄水場は瀧川釼二の設計によるものだが 上水道の基本的プランは
スコットランド・エディンバラ生まれの ウィリアム・キニンモンド・バートン<William Kinninmond Burton>である
明治20年(1887)内務省衛生局が雇用する外国人技師として来日 衛生局唯一の顧問技師として東京市の上下水道取調主任に着任し
また帝国大学で衛生工学の講師として水道技師の育成にも努めた 在日中はバルトンの呼名で親しまれ瀧川釼二も教え子の一人である

明治27年(1894)に日本人女性と結婚 明治29年(1896)日本の領土となった台湾に教え子の浜野弥四郎と同行したが
調査中に風土病に罹患して 明治32年(1899)に僅か43歳で没した
妻と娘を連れて帰国の準備をしていたが果たせず 今も東京の青山霊園に葬られている

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内日第一貯水池
堤高:21.2m 堤頂長:85.2m 堤体積:98000立法m 総貯水容量:110万立法m 有効貯水容量:100万立法m
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石張りの余水吐き水路

内日について
地名の由来は 日が山の内側を照らす意味で「内日」 狼煙から打火=内日への転訛説などがある
また 戦国時代に大内氏の家臣で日内一族がこの地に住んでいたという記録がある 明治初年で豊浦郡の内日上・内日下の2村に分かれ
長門府中藩の知行地であった 明治22年(1889)の町村制の施行により 植田・内日上・内日下の3ヶ村が合併して内日村が発足した
昭和30年(1955) 下関市に編入された 内日村の大字日新は豊東村・菊川村と合併して菊川町に併合された

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