2013.10.15 山口県宇部市大字船木岡の坂94 船木宿街道の石橋

<地図>
近世山陽道は徳川幕府により 京都羅城門から赤間関(下関)に 至る街道として 律令時代からの山陽道を
再整備したものである 一般的には京都から大阪に至る京街道を除き 大阪高麗橋元標を起点として
別名・西国街道とよばれていた 一宿目の西宮から赤間関宿(下関)まで数えて45宿の道のりである
(京の都から数えると 大阪を含め51宿50次を数える)
定めにより道幅は二間半(約4.5m)と決められていた 赤間関から馬関海峡(関門海峡)を渡り豊前小倉を経由し
長崎街道へと通じることから 東海道に次ぐ重要な街道に位置づけられていた また西国大名にとって参勤交代の
重要な街道であった 船木宿は小郡宿・山中宿を経て西宮宿より数えて41番目の本宿である
宿場内は本道の他に南北に道筋を持ち 他の宿場のように枡形道が存在しない 江戸時代から近代まで船木宿は
交通の要所であり 厚狭郡の政治・経済の中心地であった しかし 山陽鉄道(明治21年創立の私鉄
明治39年国有化)の敷設に反対したため 鉄路は船木を南側に大きく迂回し明治34年に開通した
これによって郡の中心は隣の厚狭宿にとってかわられ 町勢は徐々に衰退していく
昭和30年(1955)船木・吉部・万倉の各村が合併して楠町となり 平成16年(2004)宇部市に編入された
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船木宿の東外れ 一里塚跡と石橋
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石橋から宿場へ続く旧山陽道 写真中央部が石組み部分 定め通り二間半の道幅
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