2012.04.06 島根県太田市久手町波根西 掛戸の潮止め水門

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大田市指定名勝 掛戸松島 平成5年3月17日指定 久手町波根西海岸(国有地)
 久手駅から徒歩で波根西海岸へ約10分位の所に要害山と梶山の切割から日本海に浮ぶ「掛戸松島」を望むことが
できる。この松島は鎌倉時代、徳治元年(1306年)地元の郷土有馬次郎左衛門一政と、二代目の次郎左衛門尉宗茂が
千数百人の夫役を指揮して七ヶ年余の歳月を費やして開堀した所である。当時波根湖は増水期になると水が氾濫して
住民は難渋しており、度々の災害に遂に山岳を開堀して、湖水の水を日本海へ疎水することを遂行したのである。
 今は海水の浸食によって人工の跡はほとんど分からなくなっているが、奇岩、怪石が海中に散乱しており、
687年前の難工事がしのばれる。日本海の波間にすくっと立っている松島の絶景は、明治40年5月28日大正天皇が
東宮殿下の時、山陰行啓の折にしばしご高覧され、昭和6年夏には簸川郡高松村出身の日本画家竹田霞村が
「掛戸松島」を描いて広く世に紹介して以来「石東の名所」とよばれている。
大田市教育委員会
大正7年(1918)波根湖干拓のため築造された 連続アーチの潮止め水門である 通常レンガで築造されるが
石アーチにて組まれた水門として非常に珍しいことで 近代土木遺産に指定された 昭和25年に廃止された
残存部全幅:約40m(12門の内4門は閉鎖)
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山陰本線・線路の海側にある
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