2009.03.24  大分県院内町大字北山(きたやま)   広瀬井手・北山(藤ヶ谷)水路橋

<地図>
国道387号線を宇佐方向へ走り 鳥居橋への道を過ぎて 右に沈下橋へと下りる道を行く
沈下橋を渡り右に見える集落へ右折 集落を抜け突き当たりが和尚山登山口
ここで車を捨てひたすら田圃の横を進むこと約300mでたどり着く
ここも一回目は途中で断念 二回目は川原を辿り再度よじ登って到達
苦労のし甲斐がある水路橋であった 帰りはそのまま道を辿って行くことができた
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車はここまで 右側の道を行く
現役の水路で橋の両側はトンネル
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森の中に佇む水路橋の下流側 下の川は旧宇佐市と旧院内町の境界線を流れる

江戸時代末まで宇佐平野・駅館川東岸の地域は雨水に頼った農耕のため 農民の生活は悲惨であった
東岸の台地は川面から20数mあり 水を引くには水口を津房川の広瀬まで遡る必要があった
宝暦元年(1751)以来 多くの人が挑んだが 難所続きのため挫折 工事を引き継いだ南一郎平は
難工事に必要な莫大な資金の工面に奔走し 心血を注ぎ工事の先頭に立った
日田の豪商・広瀬久兵衛の援助もあり 明治6年(1873)に122年という歳月をもって漸く完成した農民悲願の
井手である その工事は資金難と和尚山の堅い岩盤にマブを手掘りしたほか 崩落しやすい下拝田の粘土質など
難工事とのたたかいであった 長洲に至る17kmに及ぶ完成した水路により 600町歩を水田に変えた
この難事業にたずさわり 完成させた水路技術者の南一郎平はこの手腕をかわれ
那須・安積・琵琶湖の三大疏水の事業にもたずさわることとなる
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上流側のアーチ
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下から見るアーチ部は綺麗である
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