2011.10.20 大分県豊後高田市 陣屋ノ石橋
桂陽小学校にある
島原藩領境界石
● 豊後高田市の歴史
・平安時代に宇佐神宮の荘園 田染の荘が開かれる
・建久7年(1196)高田重定によって築かれたとされるが史実としては定かではない
・秀吉の時代・高田氏が改易 文禄2年(1593)竹中重利が封じられ城を拡張する
・寛永16年(1639)家康の曾孫・松平重直が城を増修築して居城とし 松平高田藩が成立する
・正保2年(1645)嫡男城主・英親が豊後杵築に転封廃城となる
・寛文9年(1669)に肥前島原藩の飛地となり旧本丸跡に陣屋を設ける
市立桂陽小学校・市立図書館の敷地に土塁や水堀などの遺構が現存
・島原藩は木蝋製造を奨励し 従来の製塩業と合わせ 基幹産業として発展する
・明治22年(1889)高田町を初め 2町17村が発足
・明治40年(1907)2町2村合併により新制・高田町となる
・昭和29年(1954)豊後高田市となる 市域に入る旧町村は2町8村であった
・平成7年(1995)豊後高田市・真玉町・香々地町が平成の大合併により(新)豊後高田市となる
・平安時代に宇佐神宮の荘園 田染の荘が開かれる
・建久7年(1196)高田重定によって築かれたとされるが史実としては定かではない
・秀吉の時代・高田氏が改易 文禄2年(1593)竹中重利が封じられ城を拡張する
・寛永16年(1639)家康の曾孫・松平重直が城を増修築して居城とし 松平高田藩が成立する
・正保2年(1645)嫡男城主・英親が豊後杵築に転封廃城となる
・寛文9年(1669)に肥前島原藩の飛地となり旧本丸跡に陣屋を設ける
市立桂陽小学校・市立図書館の敷地に土塁や水堀などの遺構が現存
・島原藩は木蝋製造を奨励し 従来の製塩業と合わせ 基幹産業として発展する
・明治22年(1889)高田町を初め 2町17村が発足
・明治40年(1907)2町2村合併により新制・高田町となる
・昭和29年(1954)豊後高田市となる 市域に入る旧町村は2町8村であった
・平成7年(1995)豊後高田市・真玉町・香々地町が平成の大合併により(新)豊後高田市となる
陣屋の石段 石垣と共に現地掲示板に「鎌倉期に築造」とされているが確証はない 後・城郭は数度の拡張改築歴がある