2013.05.14 福井県若狭町熊川30-9 熊川宿・白石神社参道橋

<地図>
古代より若狭は 朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)であった 特に平安京以降は 日本海で獲れる魚介類を
遠路はるばる京へ運び いつしか「京は遠ても十八里」などと言われるようになった 若狭で塩漬けされた鯖が
京につく頃には ちょうど良い塩梅となるため 18世紀後半から大量の鯖が若狭から京へ運ばれた
鯖街道とは 小浜から上中町の日笠まで丹後街道を 日笠から若狭街道を熊川宿・水坂峠を越えて追分から
朽木街道に入り 大原八瀬を経て京に至る道をいう この熊川宿は室町時代に沼田氏が山城を築いた地であり
後に秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政が 天正17年(1589)に要所として諸役免除し宿場町とした
また熊川宿は近江との国境近く 小浜と近江今津のほぼ中間に位置し 江戸時代を通して若狭街道随一の
宿場町として繁栄した 近代は交通体系の変化に取り残され 街道は衰退し 現在の戸数は最盛期である
江戸中期の約半数となった そのため再開発されることなく古い町並みが残る
 平成8年(1996)に重要伝統的建造物群保存地区として選定された
旧街道の約1.1kmに平入と妻入の町家が混じって建ち並び 下ノ町と中ノ町の間には「まがり」という
街道宿特有の鍵の手に曲がる所がある 中ノ町には町奉行所・蔵奉行所・問屋や社寺があり町の中心部となる
下ノ町と上ノ町は 茶店・旅籠などが多く 国境に近い宿場の京方には番所が設けられた
峠に近く山に挟まれた地に 北西方向に開かれた熊川宿は 冬の季節風によって度々大火に見舞われている
それが為に家屋敷に身代を掛けてはならないという法則があり 大きな家屋はあまり存在しないと言われる

熊川地区の氏神 祭神:彦火々出見尊 白鬚明神 小浜藩主酒井忠勝 山の神
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