2013.05.15 福井県若狭町熊川32倉ノ下23-1 熊川宿・松木神社参道橋

<地図>
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで功績を残した京極高次が若狭の領主となり 翌慶長6年(1601)小浜湾の三角州に
新たに小浜城の築城に着手した 平城の建設は長期化し農民への年貢の取り立ては過酷を極めた 慶長14年(1609)
高次死去後は 嫡男忠高が継ぎ築城はなおも続いた 寛永11年(1634)京極氏転封により新たな小浜藩主となった
酒井忠勝も築城を受け継ぎ 小浜城は寛永19年(1641)に漸く完成した この間40年間にわたる過酷な年貢で
農民は激しく疲弊していた 寛永17年(1640)若狭三郡の庄屋・総代が寄り合い、事態の収拾のため 領主に
訴願することになった このとき総代に選ばれたのが 新道村の庄屋松木庄左衛門である 庄左衛門・当時は16歳の
若者であったが 知勇・義心に富み自ら先頭に立ち 領民救済の旗印をかかげたのである 嘆願すること十数回
九ヶ年におよんだといわれるこの訴えも全く無視され 慶安元年(1648)には代表の庄屋たちが投獄されてしまう
投獄後 同志の者が次々と去り4年後には庄左衛門ひとりを残す しかし庄左衛門の意志は堅く 投獄5年目にして
漸く目的を果たす この頃すでに小浜城完成から12年の歳月が流れ最早過酷な年貢の取り立ても不要となっていた
 にもかかわらず定法により庄左衛門は責任を問われ 慶安5年(1652)5月16日 日笠川原で磔刑に処せられ
僅か28年の生涯を閉じる 昭和8年(1933)新道村の真向かいに当たる熊川の高台に 義民松木庄左衛門を崇敬する
篤志家たちと 多くの協力者によって松木神社が創建された 境内は酒井藩の年貢米を収納した米蔵の跡地である
また熊川宿には 酒井忠勝を祀る白石神社がある
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