雲仙鉄道の歴史

雲仙鉄道は 嘗て長崎県南高来郡の愛野村と小浜町を結ぶ 路線距離17.34kmの鉄道路線であった
軌間は国鉄と同じ1067mmであったが軽便鉄道法により大正時代に創業敷設された
廃止当時の停車場とキロ程は下記の通りである
愛野村−<1.7km>−愛津−<2.1km>−水晶観音−<1.1km>−濱−<4.4km>−千々岩(ちじわ)
−<1.2km>−上千々岩−<2.4km>−木津ノ浜−<2.4km>−富津(とみつ)−<2.0km>−雲仙小濱
江戸中期以降発展した島原半島随一の町・島原湊と 明治31年(1898)に九州鉄道により開業した
同社長崎線の諫早駅を結ぶ鉄道計画が持ち上がり 明治41年(1908)島原鉄道株式会社が設立された
明治44年(1911)6月に 本諫早−愛野村(現・愛野)駅間を開通開業し
鉄道院から150形蒸気機関車(1号機関車)を譲り受け運行を開始した
この鉄道敷設の熱気は南高来郡全域に伝播し 愛野村−小浜間及び島原湊・加津佐間の延伸を期待して
島原鉄道の株式購入という形で各地元有志が資本参加したが 島原鉄道では大正2年(1913)9月の
諫早−島原湊駅(現・南島原)間の全線開通後は 島原・加津佐間 愛野・小浜間については
採算割れを懸念して工事に着手することはなかった 特に愛野・小浜間については
山間部が海に張り出す地形上 鉄道敷設工事の難易度が高く全く眼中にはなかったと思われる
これに対し 愛野・千々石・小濱・北串山・南串山の五ヵ村の有志による
独自の愛浜電気鉄道を設立するに至った しかし 工事費の高騰・資金不足による経営困難を見越して
鉄道敷設許可申請はあえなく却下され 千々石村が脱退して五ヵ村連盟は分裂し消滅してしまった
その後 千々石村と愛野村が共同して愛野村・千々石村間の鉄道会社の設立を企てた
当時の新聞報道概略によれば「小浜まで延長する意向を漏らし関係町村からも株を募集した」とある
この経緯でもって設立された温泉(うんぜん)軽便鉄道に対し
大正8年(1919)12月 南高来郡愛野村から同郡千々石村間の免許状が下付された
大正9年(1920)7月6日 温泉軽便鉄道が正式設立され 社長に島原鉄道代表の植木元太郎が就任した
大正12年(1923)5月5日 ついに愛野村・千々石駅間を開通開業させた
小浜村では 千々石まで鉄道が敷設されたことを受け 小浜温泉までの延伸計画の履行を談判したが
千々石村から小浜村間は難工事が予想される上に 関東大震災が引き起こした深刻な経済恐慌によって
資金調達が困難であるとの理由で 同社による延伸計画自体が無期限延期となったため
小浜村では独力で鉄道敷設を計画するに至ったが
短距離区間に2つの鉄道会社が存在するのは不利であると 当時の渡辺県知事が調停を試みたが
過去の確執から折り合うこと無く 独立採算の鉄道会社として小浜地方鉄道が設立された
大正9年(1920)12月2日 小浜地方鉄道に対し千々岩村・小浜村間の鉄道免許状が下付された
大正10年(1921)8月25日 小浜地方鉄道設立 社長に湯太夫を代々務めてきた本多家の親宗氏が就任
昭和2年(1927)3月10日 漸くのこと千々石・肥前小浜駅間が開業された
同年6月には 島原鉄道・温泉鉄道・小浜鉄道の3社で諫早・肥前小浜間の直通運転を開始した
しかし肥前小浜駅(後・雲仙小浜駅)が 温泉街の中心部から2km程も離れていたため
乗合い自動車との競合が激しく業績はふるわなかった
愛野村・千々石間の温泉鉄道も乗合い自動車に客を奪われ 政府による軽便鉄道補助金を受けても
欠損を解消するには至らず多額の負債を抱え この期に及んで小浜鉄道との合併を画策したが
時すでに遅く 抵当権者である銀行の了解を得られず 小浜鉄道への営業管理委託を計画したが
そのさなかに競売にかけられる事態に陥ってしまった
しかし競売を回避するために債務を保証人により代位弁済したうえで
鉄道及び営業権を小浜鉄道へ譲渡し その代金を代位弁済した保証人に支払う条件で温泉鉄道は解散
愛野村・千々石間の鉄路は競売を免れ存続され 小浜鉄道は自社存続のため必須と成る鉄道を譲受し
愛野村・小浜村間の線路を手中にしたが 後々高い買い物と言われる程の出費を強いられたことになる
昭和8年(1933)に温泉鉄道の路線を引継ぎ社名も雲仙鉄道と改称したが その後も経営は好転せず
昭和10年(1935)に一時的に島原鉄道に経営委託したが 一年後には契約解除された
昭和12年(1937)3月に政府補助金の支給期限が満了し
さらに損失や経営譲受に対し私財を投入していた本多親宗社長も6月に死去したことから
約一年後の昭和13年(1938)8月15日に 愛野村から雲仙小浜駅間全線が廃止された
地理的にも困難を極め ついには温泉場近くに駅が開業されることもなく 僅か11年の短命であった
沿革
温泉軽便鉄道
大正08年(1919)12月温泉(うんぜん)軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(南高来郡愛野村−同郡千々石村間)
大正09年(1920)7月温泉軽便鉄道設立
大正12年(1923)5月愛野村駅−千々石駅間を開業 愛野村・愛津・水晶観音・千々石駅開業
大正13年(1924)5月温泉(うんぜん)鉄道に社名変更
大正15年(1926)7月水晶観音−千々石駅間に濱駅を開業
昭和02年(1927)6月温泉鉄道・島原鉄道・小浜鉄道の三社で諫早−肥前小浜駅間の直通運転開始
昭和07年(1932)11月島原鉄道との直通運転を廃止 愛野駅で乗換えとなる
昭和08年(1933)10月鉄道敷設免許を雲仙鉄道に譲渡し会社を解散する
小浜地方鉄道
大正09年(1920)12月小浜地方鉄道に対し鉄道免許状下付(南高来郡千々岩村−同郡小浜村間)
大正10年(1921)8月小浜地方鉄道設立
昭和02年(1927)3月千々岩−肥前小浜駅を開業 上千々石・木津ノ浜・富津・肥前小浜駅を開業
昭和02年(1927)5月小浜鉄道に社名変更
昭和02年(1927)6月小浜鉄道・温泉鉄道・島原鉄道の三社で諫早−肥前小浜駅間の直通運転開始
昭和04年(1929)10月小浜町地内の鉄道免許取消(小浜町地内ノ工事竣功セザルタメ)
昭和07年(1932)11月島原鉄道との直通運転を廃止 愛野村駅で乗換えとなる
昭和08年(1933)7月雲仙鉄道に社名変更
昭和08年(1933)10月温泉鉄道の鉄道敷設免許及び路線すべてを譲受
昭和10年(1935)6月島原鉄道に経営委託 1年後委託解除
昭和12年(1937)6月本多親宗代表 現職のまま死亡
昭和13年(1938)8月愛野村−雲仙小浜駅(肥前小浜駅)間の全線を廃止
島原鉄道
昭和24年(1949)8月愛野村駅を愛野駅に改称
島原半島東南回りの口之津鉄道株式会社は 大正8年(1919)4月に島原鉄道の別会社として設立され
社長には温泉軽便鉄道と同じく島原鉄道代表の植木元太郎が就任している
大正11年(1922)4月に島原湊−堂崎間が開業し
島原湊−加津佐駅間が全線開通したのは 昭和3年(1928)3月であった
昭和18年(1943)に島原鉄道に吸収合併され 平成20年(2008)島原外港−加津佐駅間が廃止となった
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明治三十三年測図大正十五年修正測圖昭和七年部分修正測圖 五万分一地形圖 肥前小濱(部分)
温泉鐵道(島原鐵道愛野村・愛津・水晶観音・濱・千々岩)
小濱鐵道(千々岩・上千々岩・木津之濱・富津・肥前小濱)
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昭和22年(1947)米軍による空撮写真(方位角度修正) 愛野村駅(当時)周辺
写真には鉄道の道床築堤跡と駅跡が残る 1.島原鉄道 愛野村駅(南側に雲仙鉄道 愛野村駅があった)
2.愛津駅跡 A.線路跡 B.現在の会津駅跡を表す掲示は駅への取付道路入口にある
C.愛津駅の西・約14〜15‰の勾配がある築堤 D.日吉神社 線路は峠を越え小原へと下っていく
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現在の国土地理院航空写真
1955年頃に道床及び築堤も崩され田に戻された 1970年代には国道57号線パイパスの工事が始まり
同時に国道周辺の再開発が行われ大型店舗などが進出して線路の痕跡は完全に消滅した
しかし現在でも日吉神社参道から小浜までの線路跡は顕在で 町道・県道及び一部が国道となっている
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昭和38年(1963)国土地理院による空撮写真
5.千々岩駅 6.上千々岩駅 7.木津の浜駅 8.富津駅 E.国道251号線上石田交差点
森山町唐比東の濱駅から橘湾沿岸を通る線路は 千々石町丙の塩屋から上石田交差点まで国道になり
上石田交差点で再び国道と分岐して千々石町戊の交差点(上千々石駅の北側)から
小浜町北野の国道251号線富津入り口交差点まで県道201号北野千々石線となっている
F.千々石第二隧道 G.千々石第一隧道 H.木津浜 I.富津隧道 J.富津漁港
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千々石船津名から木津・富津を経て小浜に至る海岸ルートは険しく切り立った断崖が続く難所で
嘗ての有効な交通手段は船運のみであったことから 鉄道敷設に対する期待が大きく働いたと思われる
昔 橘湾は千々石湾と呼ばれていたが 日露戦争で戦死し以降軍神として崇められた橘周太中佐の像が
大正8年に生地である千々石町に建立されたことから 橘湾への名称変更が具申され
海軍水路部が海図に採用したため公式な名称となったとされる 後当地には橘神社も建立されている
橘湾はマグマ噴出による陥没で生成され千々石カルデラと呼ばれている 突出した海岸線には
険しい断崖が多いが断層群も多く存在し 脆い地質のため砂浜もあり海岸線は緩やかな曲線を描く
この地形を形作ったマグマ溜まりは今も存在し 普賢岳や島原温泉・雲仙温泉の源となっている
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