2014.02.10 南海本線・浜寺公園駅  所在地:大阪府堺市西区浜寺公園町2丁188

明治30年10月1日開業 明治40年(1907)8月20日改築竣工現在に至る
南海鉄道
明治28年(1895)8月25日 設立され その母体となったのは阪堺鉄道であった
阪堺鉄道は 日本鉄道・東京馬車鉄道に次いで 明治17年(1884)に日本で3番目の私鉄として設立された
明治16年(1883)に廃止された釜石鉱山鉄道の資材を流用し
明治18年(1885)には難波−大和川間を開業した 南海鉄道は 阪堺鉄道の全事業を譲受して
明治30年(1897)に堺ー尾崎駅間を延伸開業した 浜寺駅もそれに伴い開業した
明治36年(1903)和歌山市駅まで延伸し全通となり その後 明治40年(1907)に複線化及び電化を行い
浜寺駅も改築され 明治40年(1907)8月20日に竣工し 駅名も浜寺公園駅と改名され現在に至る
私鉄最古の建造物で 設計は東京駅の設計で知られる辰野金吾博士が所属した辰野・片岡建築事務所である
木造平屋建てのハーフティンバー様式と呼ばれる柱や梁を表に現した洋風駅舎である
平成10年(1998)に国の登録有形文化財に登録されている
img
img
img
img
img
img
img
車寄せ
img
駅務室
img
浜寺公園 ステーションギャラリー
img
改札天井
img
古レール使用のホームの覆い屋根
img
団体改札口
img
団体改札口建屋
浜寺公園
古代 住吉大社の前まで海であった時代の岸辺道が 近世には豊臣秀吉によって住吉街道として整備された
江戸時代に入ると街道は岸和田城下へと伸び やがて紀ノ国和歌山城下へと至る街道として整備管理された
この街道の西側には白砂青松の浜が 北は諏訪ノ森辺りから南は二色浜まで続いていたとされる
特に石津川から助松辺りまで松林が厚く繁り 高師浜(たかしのはま)と呼ばれる名勝地となっていた
この松林は宝永年間(1704−1711)に 大鳥郡の船尾・西下・東下・山内下・今在家の5ヶ村の住民らが
防潮のために植えたものが始まりとなっている この5か村 元は天領であったが
延享4年(1747)に徳川吉宗により田安家が興されその領地に充てがわれた
倒幕後の明治元年(1868)に 田安家が新田開発を計り反対を押切って松林を伐採した
明治6年(1873)当地を訪れた大久保利通が伐採停止を裁断し 堺県令によって通達されたが
松は約850本にまで減少してしまった 明治6年(1873)12月に日本最古の公立公園として開園された
  明治38年(1905)浜寺公園の南に隣接する地に 日露戦争でのロシア兵俘虜収容所が建てられた
img
旧堺南警察署浜寺公園派出所 建築:昭和7(1932)年  設計:平林亀五郎

浜寺は 南北朝時代に建立された大雄寺が南朝拠点となり 吉野山の日雄寺が「山寺」と呼ばれたのに対し
「浜の寺」と呼ばれたことに由来している 浜寺町や高石町一帯は 大正から昭和にかけて別荘地となり
大阪毎日新聞社と南海鉄道が浜寺海水浴場を開設し 夏は海水浴客で賑わった
昭和20年(1945)から昭和33年(1958)までアメリカ駐留軍に接収され 返還後は僅か3年を経て
泉北臨海工業地帯の埋立造成が始まり 松林の先にあった海岸は姿を消した

TOP