駅名:吉松駅−鶴丸駅−京町温泉駅−えびの駅−えびの上江駅−えびの飯野駅−西小林駅−小林駅−
広原駅−高原駅−日向前田駅−高崎新田駅−東高崎駅−万ケ塚駅−谷頭駅−日向庄内駅−都城駅
歴史
大正元年(1912)10月1日に 当時の鹿児島本線であった吉松駅から小林町駅間が 国鉄宮崎線として
開通したのが始まりで
大正2年(1913)5月には谷頭駅まで延伸し 10月には都城まで延伸開業した
その後 大正3年(1914)2月に都城−三股駅間を延伸開業し 8月には山之口駅まで延伸開業した
大正4年(1915)3月 宮崎線東部の清武−宮崎駅間を開業し この間の営業を宮崎県営鉄道に委託した
大正5年(1916)3月 山之口−青井岳駅間を延伸開業し 4月には東部区間の清武−大久保駅間を延伸開業
10月には 残りの区間であった青井岳−清武駅間が開通し 宮崎線の吉松−宮崎駅間が全通した
大正6年(1917)9月21日 宮崎県営鉄道を買収し国有化 線名を宮崎本線に改称した
その後も北へ延伸工事が重ねられ 大正12年(1923)7月には大分県境に近い市棚駅まで延伸開業した
同年12月15日 最後の難関であった県境の宗太郎峠を挟んだ豊州本線の重岡駅とつながり
宮崎本線と豊州本線が統合されて 小倉駅−吉松駅間が日豊本線となった
八代−人吉−鹿児島ルートは肥薩線として分離される
昭和7年(1932)12月 都城−隼人駅間が全通し 小倉−都城−隼人−鹿児島が日豊本線となり
肥薩線・吉松駅−日豊本線・都城駅間は吉都線となり 肥薩線の終点は隼人駅となった