吉都線(きっとせん)

起点:肥薩線吉松駅 終点駅:日豊本線都城駅 総延長距離:61.6km 駅数:17(起終点駅含む)
駅名:吉松駅−鶴丸駅−京町温泉駅−えびの駅−えびの上江駅−えびの飯野駅−西小林駅−小林駅−
広原駅−高原駅−日向前田駅−高崎新田駅−東高崎駅−万ケ塚駅−谷頭駅−日向庄内駅−都城駅

歴史
大正元年(1912)10月1日に 当時の鹿児島本線であった吉松駅から小林町駅間が 国鉄宮崎線として
開通したのが始まりで  大正2年(1913)5月には谷頭駅まで延伸し 10月には都城まで延伸開業した
その後 大正3年(1914)2月に都城−三股駅間を延伸開業し 8月には山之口駅まで延伸開業した
大正4年(1915)3月 宮崎線東部の清武−宮崎駅間を開業し この間の営業を宮崎県営鉄道に委託した
大正5年(1916)3月 山之口−青井岳駅間を延伸開業し 4月には東部区間の清武−大久保駅間を延伸開業
10月には 残りの区間であった青井岳−清武駅間が開通し 宮崎線の吉松−宮崎駅間が全通した
大正6年(1917)9月21日 宮崎県営鉄道を買収し国有化 線名を宮崎本線に改称した
その後も北へ延伸工事が重ねられ 大正12年(1923)7月には大分県境に近い市棚駅まで延伸開業した
同年12月15日 最後の難関であった県境の宗太郎峠を挟んだ豊州本線の重岡駅とつながり
宮崎本線と豊州本線が統合されて 小倉駅−吉松駅間が日豊本線となった

昭和2年(1927) 鹿児島線の八代−川内−鹿児島ルートが全通し鹿児島本線となり
八代−人吉−鹿児島ルートは肥薩線として分離される
昭和7年(1932)12月 都城−隼人駅間が全通し 小倉−都城−隼人−鹿児島が日豊本線となり
肥薩線・吉松駅−日豊本線・都城駅間は吉都線となり 肥薩線の終点は隼人駅となった

●宮崎線(吉松−宮崎)
大正01年(1912)10月宮崎線 吉松−小林町駅間を開業 京町・加久藤・飯野・小林町の各駅を開設
大正02年(1913)5月小林町−谷頭駅間を延伸開業 高原・高崎新田・谷頭の各駅を開設
10月谷頭−都城駅間を延伸開業 都城駅を開設
大正03年(1913)2月都城−三股駅間を延伸開業 三股駅を開設
8月三股−山之口駅間を延伸開業 山之口駅を開設
大正04年(1915)3月宮崎線東部の清武−宮崎駅間を開業 大淀駅開設 この間を宮崎県営鉄道に営業委託
大正05年(1916)3月山之口−青井岳駅間を延伸開業 青井岳駅を開設
4月清武−大久保駅間を延伸開業 大久保駅を開設
10月青井岳−清武駅間を延伸開業 吉松−宮崎駅間が全通 田野駅を開設 大久保駅を廃止
大正06年(1917)9月宮崎県営鉄道を買収国有化 路線名を宮崎本線とする

●吉都線(吉松−都城)
大正12年(1923)12月小倉−吉松駅間全通により 豊州本線と宮崎本線を統合し路線名を日豊本線に改める
昭和02年(1927)10月八代−川内−鹿児島間を鹿児島本線に編入 八代−人吉−鹿児島間は肥薩線となる
昭和04年(1929)2月西小林駅を開設
昭和07年(1932)12月小倉−都城−隼人−鹿児島駅間が日豊本線になり 吉松−都城駅間を吉都線とする
肥薩線は八代−隼人駅間となる
昭和22年(1947)3月万ケ塚駅・日向前田駅を開設
昭和26年(1951)3月小林町駅を小林駅に改称
昭和27年(1952)4月日向庄内駅を開設
昭和32年(1957)7月上江駅を開設
昭和33年(1958)2月鶴丸駅を開設
昭和34年(1959)5月熊本−宮崎間に準急「えびの」の運転を開始
昭和36年(1961)10月広原駅を開設
昭和37年(1962)2月出水−宮崎間に準急「からくに」山野線経由で運転開始
昭和38年(1963)10月準急「えびの」を全て博多駅発着とする
12月東高崎駅開設
昭和41年(1966)3月準急「えびの」「からくに」を急行に格上げ
昭和47年(1972)3月急行「からくに」廃止
昭和49年(1974)4月急行「えびの」の一本を特急「おおよど」に格上げ運転開始
昭和55年(1980)10月特急「おおよど」廃止
平成02年(1990)11月駅名改称 飯野→えびの飯野・上江→えびの上江・加久藤→えびの・京町→京町温泉
平成12年(2000)3月急行「えびの」廃止 吉都線を走る優等列車はなくなった

●吉都線の古い木造駅舎