木次線(きすきせん)

起点:山陰本線宍道駅 終点駅:芸備線備後落合駅 総延長距離:81.9km 駅数:18(起終点駅含む)
駅名:宍道-南宍道-加茂中-幡屋-出雲大東-南大東-木次-日登-下久野-出雲八代-出雲三成-
亀嵩-出雲横田-八川-出雲坂根-三井野原-油木-備後落合

歴史
木次線の前身となる簸上(ひのかみ)鉄道が 山陰本線宍道駅から大原郡木次町間を結ぶ路線として
開業したのは 大正5年(1916)10月11日であった 後に鉄道省により木次から南へ路線を延ばし
木次-出雲三成間が開業したのは 昭和7年(1932)12月18日である
昭和9年(1934)8月1日には 簸上鉄道が国有化され宍道-出雲三成駅間が木次線となった
線路が 芸備線の備後落合駅に到達したのは 昭和12年(1937)12月12日であった
簸上軽便鉄道は たたら製鉄・絲原家筆頭の絲原武太郎・醸造業で後に政治家となる木村小左衛門など
地元資産家の有志でもって設立され 大正2年(1913年)12月に鉄道敷設許可を申請し
翌大正3年(1914)1月に鉄道免許状が下付された 当初の計画では八束郡宍道村-大原郡木次町間
及び支線として大原郡幡屋村-同郡大東村間としていたが 5月には簸上鉄道に社名を変更し
翌年2月には路線を八束郡宍道村-大原郡木次町間のみに変更している

社名の「簸上」は奥出雲地方を指す言葉で 古代律令制の時代から続く「大原郡・飯石郡・仁多郡」を言い
合わせて簸上(雲南)三郡と呼ばれていた 古代より良質の砂鉄を産出し「たたら製鉄」が盛んであった
簸上鉄道の蒸気機関車
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●1・2号機 国鉄から譲渡された120形機関車
 1873年 英国ロバート・スティーブンソン社製
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●3号機 国鉄から譲渡された5形機関車
 1895年 米国・ボールドウィン社製
 旧所属:北海道炭砿鉄道 国有化後従輪付加
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●4号機 国鉄から譲渡された1040形機関車
 大正3年(1904)日本鉄道大宮工場製
 旧所属:日本鉄道
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●5・6号機 簸上鉄道が日本車輌に発注した機関車
 大正12年(1923)日本車輌製
 鉄道院 1260形
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●2号機(2代目) 簸上鉄道が発注した機関車
 昭和8年(1933)日本鉄道大宮工場製
 鉄道院 3040形
 砂箱と蒸気溜を一体化した国産初の形態は
 後の国産蒸気機関車に引き継がれる

●簸上鉄道
大正03年(1914)1月簸上軽便鉄道に対し鉄道免許状下付 1月31日
大正05年(1916)10月宍道-木次駅間(21.08km)を開業 加茂中・大東町・木次駅を開業
大正07年(1918)2月幡屋停留場を開業
大正10年(1921)3月幡屋停留場を駅に変更

●国鉄木次線
昭和07年(1932)12月木次-出雲三成駅間(20.4km) を開業 日登・下久野・出雲八代・出雲三成駅を開業
昭和09年(1934)8月簸上鉄道を国有化 宍道-出雲三成駅間が木次線となる 大東町駅を出雲大東駅に改称
11月出雲三成-八川駅間(14.8km)を延伸開業 亀嵩・出雲横田・八川駅を開業
昭和12年(1937)12月八川-備後落合駅間(25.6km)を延伸開業し木次線全通 出雲坂根・油木駅を開業
以降の駅開業:三井野原乗降場開設→三井野原駅・南宍道駅・南大東駅

●木次線の古い木造駅舎