2016.04.08 関西本線・加太駅(かぶとえき) 所在地:三重県亀山市加太市場1622

民営の関西(かんせい)鉄道株式会社が 四日市-柘植間を開通させたのは明治23年(1810)であった
加太駅は 明治29年(1896)9月21日に 新設駅として関-柘植駅間に設置開業した
加太越(かぶとごえ)は 古くは飛鳥・奈良時代に東国に通じる東海道として拓かれ
平安京への遷都後に北の鈴鹿峠が拓かれるまで重要な交通の要衝であった 亀山市関に「鈴鹿関」が置かれ
今でも これより東を「関東」西を「関西」と呼び慣わしている
実際の峠は 加太駅から西へ直線距離にして約5kmの亀山・伊賀の市境にあり標高309mの位置にある
関西鉄道は その峠の南に距離929.6mの加太トンネルを穿ち鉄道を開通させたが 勾配は25‰あった
当時の蒸気機関車では限界で 昭和3年に加太トンネル手前にスイッチバックを設置し中在家信号所とした
加太駅のある加太市場は名前が指し示すように 古来から市が立ち峠の宿場町として栄えたが
国道も鈴鹿越となり 鉄道輸送も東海道本線が名古屋-大阪間の主要路線となって以降は寂れる一方である
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加太越奈良道と加太宿 東海道歴史文化回廊
「加太越奈良道」は、関宿西の追分で東海道から分岐し、加太峠を越えて伊賀・奈良に通じる街道です。
この街道の名前は、関宿西の追分にある是目塔には「いかやまと道」と、
幕府の記録には「加太越奈良道」とあり、定まった呼び方はなかったようです。
明治時代には「大和街道」とも呼ばれています。
奈良から加太を越えて関に至る道は、大海人皇子(おおあまのおうじ)が壬申の乱(672)の折に
通ったことなどから、鈴鹿峠が開かれる以前の「東海道」とする説もあります。
江戸時代には、藤堂家が領した津と伊賀上野を結ぶ重要な道筋として、津藩領に含まれていました。
街道の里程は、『三国地誌』(宝暦13年=1763)によると、関~加太間が1里23町(約6.4km)、
加太~柘植が2里8町(約8.7km)です。加太宿は、加太越奈良道の宿場のひとつです。
しかし、本陣は板屋に、問屋場・高札場は市場にあって離れており、加太宿の名はこれらの総称です。
平成22年3月 亀山市教育委員会


加太越え鉄道遺産群

市場川煉瓦アーチ橋梁
基礎部分は石積 スプリングラインの雁木模様が美しい 加太駅設置の際に拡幅された 通路は後年設置
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坊谷隧道・加太側坑門
全長163m 1対の石積高欄付の柱は明治期のトンネルに多く見られる特徴
構造的には「付け柱」(ピラスター)を設け 柱間の最上部に「笠石」
その下に煉瓦積の「胸壁」(パラペット) 途中に「帯石」があり アーチを造る「迫石」
アーチ中央の「要石」等で構成され バランス良く美しい抗門である
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市の湯川橋梁
支間9.80m+22.30m 橋脚の石積台座部分は「五角錐台」で上流方向が鋭角になっている
その上に乗る橋脚は 隅石とレンガ積で構成され 両端の橋台も隅石とレンガ積の調和が美しい
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川崎造船兵庫工場製作 鉄道省
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