起点:山陽本線岩国駅 終点駅:山陽本線徳山駅 総延長距離:47.1km 駅数:16(起終点駅含む)
櫛ケ浜駅−徳山駅間(3.4km)は山陽本線となり 営業距離数は 43.7km
である
駅名:岩国−西岩国−川西−柱野−欽明路−玖珂−周防高森−米川−高水−勝間−大河内−周防久保−
生野屋−周防花岡−櫛ケ浜−徳山
岩徳線
歴史
民営の山陽鉄道会社が 広島ー徳山駅間を開業したのは 明治30年(1897)9月25日である
開業当時の主力機関車は 長距離用に英国ピーコック製・米国ボールドウィン製のテンダ機を有していたが
短距離普通列車の多くは タンク式機関車が牽引を担っていた その非力さ故に広島ー徳山間は
勾配の少ない海岸線を通過する路線となった
明治39年(1906)に国有化され 明治42年(1909)には山陽本線となった
8ヶ所にも及ぶトンネルに計画は阻まれ 柳井ルートを複線化することで決定された
昭和17年(1942)麻里布駅が岩国駅に 岩国駅が西岩国駅に改称
昭和19年(1944)複線化工事が完了し 再び柳井ルートが山陽本線となった
現代の山陽新幹線・国道2号線・山陽自動車道のルートもほぼ同じである
山陽本線の電化は 横川ー小郡駅間が昭和39年(1964)に完成されたが 岩徳線は今も非電化区間である
民営の山陽鉄道会社が 広島ー徳山駅間を開業したのは 明治30年(1897)9月25日である
開業当時の主力機関車は 長距離用に英国ピーコック製・米国ボールドウィン製のテンダ機を有していたが
短距離普通列車の多くは タンク式機関車が牽引を担っていた その非力さ故に広島ー徳山間は
勾配の少ない海岸線を通過する路線となった
明治39年(1906)に国有化され 明治42年(1909)には山陽本線となった
大正に入り 大きく迂回する柳井ルートに対し岩国ー徳山間を最短距離で結ぶ岩徳線の計画が持ち上がった
大正10年(1921)頃から工事を開始し 昭和4年(1929)山陽・岩国駅ー現:西岩国間が岩徳線として開業
終点を岩国駅とし 山陽・岩国駅を麻里布駅に改称した 昭和9年(1934)岩徳線全通し山陽本線となった
岩徳線のルートは 旧西国街道の道筋であり 玖珂・周防高森・高水・周防久保・周防花岡の各駅は
それぞれ街道の宿駅に相当する位置に開設された
8ヶ所にも及ぶトンネルに計画は阻まれ 柳井ルートを複線化することで決定された
昭和17年(1942)麻里布駅が岩国駅に 岩国駅が西岩国駅に改称
昭和19年(1944)複線化工事が完了し 再び柳井ルートが山陽本線となった
現代の山陽新幹線・国道2号線・山陽自動車道のルートもほぼ同じである
山陽本線の電化は 横川ー小郡駅間が昭和39年(1964)に完成されたが 岩徳線は今も非電化区間である
● 岩徳東線 | ||
昭和04年(1929) | 4月 | 岩徳線として麻里布(山陽)−岩国駅間が開業 岩国駅(西岩国駅)が開業 |
昭和07年(1932) | 5月 | 岩徳西線開業に伴い 岩徳東線に改称 |
● 岩徳西線 | ||
昭和07年(1932) | 5月 | 岩徳西線として櫛ケ浜−周防花岡駅間が開業 周防花岡駅が開業 |
昭和09年(1934) | 3月 | 周防花岡−高水駅間が延伸開業 周防久保・勝間・高水駅が開業 |
● 全通後 | ||
昭和09年(1934) | 12月 | 岩国−高水駅間が開業し岩徳東西線が全通 山陽本線に岩徳東西線区間を編入 |
柱野・玖珂・周防高森・米川駅が開業 | ||
昭和17年(1942) | 4月 | 麻里布駅(山陽)が岩国駅に 岩国駅が西岩国駅に改称 |
昭和19年(1944) | 10月 | 柳井線(複線化完了)の山陽本線編入により 岩国−櫛ケ浜駅間が再び岩徳線となる |
昭和35年(1960) | 4月 | 川西駅が開業・11月岩日線(錦川鉄道)の開業に伴い 森ヶ原信号場が新設 |
昭和62年(1987) | 3月 | 大河内駅・生野屋駅が開業 |
平成02年(1990) | 9月 | 欽明路駅が開業 |
● 岩徳線の古い駅舎