国鉄佐賀線の歴史

● 起点:長崎本線 佐賀駅 終点駅:鹿児島本線 瀬高駅  総延長距離:24.1km  駅数:12(起終点駅含む)
● 駅名:佐賀−東佐賀−南佐賀−光法−諸富−筑後若津−筑後大川−東大川−筑後柳河−百町−三橋−瀬高駅

国鉄佐賀線は 長崎本線の佐賀駅と鹿児島本線の瀬高駅を結ぶ日本国有鉄道の路線であった
大正11年(1922)4月11日に公布・施行された『改正鉄道敷設法別表第113号』の「佐賀縣佐賀ヨリ
福岡縣矢部川、熊本縣隈府ヲ經テ肥後大津ニ至ル鐡道及隈府ヨリ分岐シテ大分縣森付近ニ至ル鐡道」に
記された一部として着工され 昭和6年(1931)9月24日に矢部川−筑後柳河間を佐賀線として
部分開業し 昭和10年(1935)5月25日には 佐賀−矢部川間を全通させた
『改正鉄道敷設法別表第113号』による矢部川とは 九州鉄道が開業した駅で現在の瀬高駅となり
隈府は現在の菊池市で さらに豊肥本線の肥後大津駅へと結ぶ計画であった 隈府(菊池市)からは
分岐線が計画され 久大本線の豊後森に至るという 当時としては壮大な計画であった
矢部川からは大正11年(1922)に 東肥鉄道が熊本県南関までの13.6kmを全通開業していたが
昭和13年(1938)12月に廃止され 隈府への分岐線も昭和12年(1937)に国鉄宮原線として
豊後森−肥後小国間26.6kmの一部を開業したが 以降は戦時色が強まる中で一時廃止となり
戦後再興されて 昭和29年(1954)3月に漸く宝泉寺−肥後小国間を延伸開業したが
昭和59年(1984)12月1日に全線が廃止された
戦後も筑後地方を横断するこの鉄道は 大川市の家具産業など 沿線の製造業や商業を活性化させるに
十分な役目を果たした 諸富駅からは味の素九州工場への引込線が1970年代頃まで存在しており
沿線住民にとっても欠かせない路線であった 全盛期の昭和36年(1961)年の10月ダイヤ改正では
佐賀線経由で熊本−長崎駅間を運行する準急列車「ちくご」が運行を始め
昭和41年(1966)年3月には急行列車に格上げされた しかし 高度成長期以降 押し寄せる
モータリゼーションの浪に抗うことも叶わず 乗客が減少し貨物もトラック輸送へと移行が始まった
昭和55年10月 急行列車「ちくご」が運行を終了し
昭和55年(1980)制定の国鉄再建法により 第2次特定地方交通線に指定され
その後 国鉄分割民営化直前の昭和62年(1987)3月28日に全線が廃止された

●沿革
昭和06年(1931)9月矢部川−筑後柳河駅間(8.6km)を佐賀線として新規開業 三橋駅・筑後柳河駅を開設
昭和08年(1933)6月筑後柳河−筑後大川駅間(5.4km)を延伸開業 筑後大川駅を開設
昭和10年(1935)5月佐賀−筑後大川駅間(10.0km)を延伸開業し全通させる 諸富駅・南佐賀駅を開設
昭和12年(1937)6月百町駅を開設
昭和13年(1938)3月筑後若津駅を開設9月10日 光法駅を新設
9月光法駅を開設
昭和14年(1939)9月東佐賀駅を開設
昭和17年(1942)4月九州鉄道時代から続く矢部川駅を瀬高町駅に改称する
昭和31年(1956)1月東大川駅を開設
4月再度 瀬高町駅を瀬高駅に改称する
昭和36年(1961)10月佐賀線経由で熊本−長崎駅間を運行する準急列車「ちくご」の運行を開始する
昭和41年(1966)3月「ちくご」が急行列車に格上げされる
昭和55年(1980)10月急行列車「ちくご」の運行を終了する
昭和59年(1984)6月第2次特定地方交通線として廃止が承認される
昭和62年(1987)3月全線(24.1km)を廃止 民営バス・市営バスに転換する

昭和62年(1987)9月撮影の航空写真で 廃線時の各駅跡を辿ってみる
img
佐賀駅
img
東佐賀駅:佐賀市東佐賀町6
img
南佐賀駅(南佐賀公園):佐賀市南佐賀2  光法駅:佐賀市北川副町大字光法
img
諸富駅:佐賀市諸富町大字為重529
img
筑後川橋梁(昇開橋)・筑後若津駅:福岡県大川市向島2499-9(筑後川昇開橋展望公園)
img
筑後大川駅:大川市大字小保
img
東大川駅:大川市大字三丸
img
img
筑後柳河駅: 柳川市三橋町大字柳河
img
img
百町駅:柳川市三橋町大字百町  三橋駅:柳川市三橋町大字中山
img
img
瀬高駅
TOP