水路橋が架けられる以前は 高並川左岸の小稲集落から右岸の大重見や上流域の小野川内集落に行くための橋がないことから
高並川左岸の急な崖道を通るか 高並川と大重見川の両河川を渡渉して集落間の往来をしていた
梅雨の時期などは大変危険で難儀をしていたが 江戸末期に宇佐神宮神職・小野氏の末裔となる糸永亨寿(てつひさ)氏によって
石アーチ橋が架設された 後の明治時代になってから「明治の二宮尊徳」と呼ばれた糸永子季武(しきぶ)氏が
用水路の付設工事を行い 小稲集落に安定した農業用水が供給され 今も現役の水路橋として機能し 3.8haの水田を潤している
橋の特徴は側壁に自然石を用い またアーチの輪石材も自然石に近い点にあり 院内町石橋群の中でも珍しい工法となっている
農林水産省の「水土里の文化遺産」に指定 平成11年1月16日には国の登録有形文化財として登録された
石造単アーチ橋 橋長:8.2m 橋幅:2.2m 江戸末期完成 院内土地改良区 指定事項:造形の規範