昭和31年(1956)12月26日 シベリア抑留からの帰還者千数百名を乗せた舞鶴港最後の引揚げ船「興安丸」が入港
その後 昭和36年(1961)6月27日には 北ベトナムからの集団引き揚げ船「上海丸」が 福岡県の門司港へ入港し
延べ総数 6,297,246人の第二次大戦による海外在留邦人の集団引き揚げが終了した
国内では 昭和30年代後半まで 戦後の食料増産と引き揚げ者就労のため 各地で農業開拓集落が造成された
ここ一尺八寸山(みおうやま)にもブルドーザーがはいり 新規入植者のため道路と住宅が造られた
しかし 山の上では飲料水にも事欠き やがて離農し住宅も耕地も捨てられることになった
戦禍を含めた負の遺産として今も山中に残される