2025.04.24 福岡県京都郡みやこ町勝山松田 障子ヶ岳(しょうじがたけ) 標高 427.3m
山頂の掲示板内容 障子ヶ岳城跡
この城跡は 標高427mの障子ヶ岳山頂一帯に広がる中世の山城跡で 曲輪や堀切(空堀)といった
築造物の状態が当時の姿を良く残していることから 平成21年(2009)11月に みやこ町の史跡に指定された
障子ヶ岳城は 田川と京都郡の境にあって田河道・秋月道等の要路をおさえる位置にあることから
豊前地方における重要な山城の一つとされ また 近くにある大規模な山城の香春岳城の支城ともいわれている
城の歴史は 江戸時代に編纂された『豊前古城記』によれば 南北朝時代の幕開けとなった建武3年(1336)に
足利尊氏の命を受け 豊前守護となった足利駿河守統氏の築城によって始まるとされるが歴史的確証はない
その後は 僅かに残る同時代の史料から15〜16世紀にかけ 門司氏や宇佐郡衆といった地頭や地侍の拠点 および
室町時代の守護大名・大内氏や大友氏の出城として家臣が城番を務め 戦乱の舞台となったことが確認されている
天正14年(1586)豊臣秀吉の九州攻伐において黒田官兵衛の攻撃にあい落城放置され山林化したが
400年後の昭和62年(1987)に「障子ヶ岳の城攻め」と銘打った地域住民主体の町づくりボランティア活動により
往時の姿が回復された 現在の城跡は 文化財として活用され地域づくりのシンボルともなっている
味見峠
味見峠(標高247m)は 養老4年(720)採銅所長光にある清祀殿で鋳造された銅鏡を古宮八幡宮から
宇佐神宮に奉納する際 御神輿の行列が通ったことから有名となり 英彦山山伏の峰入りコースの一部にもなった
昭和56年(1981)峠下の中腹に県道64号苅田採銅所線の味見トンネルが開通し 以降人通りも途絶えているが
かつては地域社会および経済的交流の要となる峠道であった 今では地元有志により峠道の整備が行われ
また桜が植樹されて花見の名所ともなっている なお 味見「アジミ」の由来については
採銅所中野に魚市場があり 豊前海の新鮮な魚介類が人に担われ運ばれて峠で鮮度や味見をしたことから
宇佐八幡宮の所領として勾金荘が「安心院氏」によって支配されていたことから
障子ヶ岳と龍ヶ鼻の鞍部 即ち馬の鞍の古語「アジム」に因む説
山を越えると海にも近く 海洋民族の安曇(あずみ)に拠る土地柄であったこと等 所説が存在する






































右奥に飯岳山(大坂山)標高573mのアンテナ群










照葉樹林の代表的な樹木 学名: Camellia japonica. 学名に「ジャポニカ」とあり 日本固有のツバキである
花言葉は 控えめな優しさ




花言葉は 「高貴」「清潔な人」「真実の愛」







