1.針の耳・月見岩・祠宮 2.焼不動 3.大手門跡 4.二の丸跡 5.角埋神社
6.展望台 7.本丸跡 8.三の丸 9.末廣神社 P.三島公園駐車場
2022.10.19 大分県玖珠郡玖珠町森 角埋山(つのむれやま) 標高 576m
山頂には中世の山城跡・角牟礼(つのむれ)城址がある この城は鎌倉時代中期の弘安年間(1278−1288)に
玖珠郡衆(豊後国球珠郡の武力集団)の森朝通により築かれたとされ 戦国時代には堅固に補強され
天正14年(1586)の島津氏による豊後侵攻の際 玖珠郡衆が籠城し島津軍の攻撃に耐え落城を免れ難攻不落の
城として名を馳せた 文禄3年(1594)から慶長5年(1600)にかけては 日田の毛利高政が玖珠の拠点として
角牟礼城を整備し 中世山城から石垣や櫓門をもつ近世城郭に姿を変えたが
関ヶ原後の慶長6年(1601)来島長親が1万4千石で入封し無城格の森藩が立藩され角牟礼城は廃城となった
転封に伴い長親は 陣屋内に伊予大三島の大山祇神社を勧請して三島神社を造営した
藩主の城に対する憧れは強く 天保8年(1837)には八代目藩主通嘉が 幕府に対し三島神社の改築を口実に
石垣や茶屋「栖鳳楼」の増築と藩主御殿庭園・栖鳳楼庭園・清水御門庭園を造営し山麓を城構えのように整えた
標高グラフ

11:40 三島公園駐車場
角牟礼城跡遊歩道
大岩扇山

武家屋敷跡・清水瀑園 直進(旧道)
角牟礼城跡遊歩道は左へ

上谷地蔵堂
車道終点 左に炭焼き窯

つのむれ会の炭焼き窯 初火入れ平成元年
直道経由分岐 直道左 遊歩道は直進

12:03 左へ遊歩道の長い階段
遊歩道の案内板

長い長〜い階段
岩の間を抜く道

11:07 針の耳(針の糸通し孔)
善人しか通れない 悪人は全てデブい?

針の耳出口
城主が月見をした「月見岩」

文久3年(1862)建之 願主矢野彌六郎兼平
荒れた道が続く

希少な白いサルノコシカケ 抗ガン作用など有す
虎ロープに沿って上る

やっとあった道標 焼不動尊まで200m
山頂への道標

12:32 焼不動尊
焼不動の由来記
源頼朝の叔父で弓の名人の源為朝が角埋山に立てこもった時期があり、死後にその遺徳を偲んで
不動明王をつくったという。 その不動明王を納めたお堂が戦国末期、薩摩の島津軍との戦いで焼け、
顔だけが残ったと伝えられている。 玖珠町 商工観光課
焼不動上部の断崖 その上は角牟礼城本丸跡

遊歩道はクサリ場を経て本丸へ ……
しかし石垣崩落と復旧工事で通行止め

あまり利用されない森の小道へ
路傍の石仏
森の小道は切立った断崖の下を迂回する山道 風情のある好ルートと言える

切立った岩崖沿いの道
角埋山も大岩扇山と同様のメサで 山頂部は柱状節理の絶壁で囲まれ天然の防御壁となっている

12:50 大手坂に合流する
大手坂の石垣

大手門跡
二ノ丸跡

二ノ丸 建造物礎石 判然としない
西門跡の列状礎石
二ノ丸の石垣と西門坂 西門跡では閂金具や瓦片が発見され西門坂に石垣の石材が散乱している

切岸 中世山城の切り崩し
本丸跡への直登 通行止め

山中の至るところに奉納石仏がある 角牟礼神社の神仏習合によるものと思われるが
角埋山自体が霊山として山岳信仰の対象となり 少なからず修験道の影響もあったと考えられる
角埋山自体が霊山として山岳信仰の対象となり 少なからず修験道の影響もあったと考えられる

角牟礼神社社務小屋と神殿
角牟礼神社神殿
現在の祭神は源為朝とされているが 祀られているのは右の足指が六本の不動明王である 不動明王は
真言密教や天台密教の信仰対象で修験道の神仏でもある 明治の神仏習合禁止令で祭神を変えたと思われる
真言密教や天台密教の信仰対象で修験道の神仏でもある 明治の神仏習合禁止令で祭神を変えたと思われる
展望所から見る森藩陣屋跡と城下町の豊後森

◁ 展望所からのパノラマ ▷
13:13 標高576m 本丸跡
八面山 鹿嵐山
英彦山 筑紫山脈


広い山頂の本丸跡 13:50 下山開始
二ノ丸石垣 穴太積

大手門の石垣
二ノ丸の石垣

14:10 三ノ丸 山上駐車場
三ノ丸石垣

少し戻って直道ルートで下山
虎ロープがガイドの下山道

14:20 長〜い階段を下る
写真をチェックすると遠くに猪がいる

チャカイガラタケ
観音像

階段終わり
急傾斜のコンクリート歩道


大岩扇山 小岩扇山 寶山 左下に上谷地蔵堂

上谷の庚申塚 猿田彦大神
14:35 末廣神社の裏に出る

末廣神社拝殿
日本一の手水石
明治5年(1872)に妙見宮を合祀 三島神社から末廣神社に改名 主祭神は天御中主神・大山積神の二柱
10月29日(土)のジャンボ鯉のぼりくぐり抜けのテスト中?
三島公園から見る角埋山 14:45 駐車場到着







