2021.11.15 大分県佐伯市弥生大字尺間 尺間山(しゃくまさん) 標高 641m

古くから霊峰として崇められ 山頂には「尺間さま」や「釈魔大権現」とも呼ばれる尺間神社が鎮座する
尺間山の標高は 地理院地図では 641m ウィキペディアを始めとするネット上では 645mとなっている
山全体が日豊海岸国定公園に指定されており 広域林道尺間山線が参詣道及び登山道となっている
第一駐車場のある佐伯市弥生側からは100段の 第二駐車場のある津久見側からは400段の石段がある
第一から第二駐車場間の広域林道尺間山線は 国道10号線の尺間山登山口から津久見市側は
県道36号佐伯津久見線の彦岳・尺間山分岐を結ぶ山岳道路で 第二駐車場までを尺間スカイラインと呼ぶ

尺間神社は 大峰山で修行を修めた真言山伏の高司盛雲が 郷土佐伯で御堂(元宮尺間大社)を開基し
天正元年(1573)に尺間山々頂に祠を建立したことが起源とされている
江戸時代に入ると 佐伯藩歴代藩主の信仰を受けて栄え 東九州の霊場として広く知られるようになった
尺間の元字は釈魔で「魔を釈(と)く」の意を持ち「魔を払う」ということである
明治の神仏習合禁止により尺間大権現が廃され 現在の祭神は火神・迦具突智神(かぐつちのかみ)
武神・経津主神(ふつぬしのかみ)雷神・武甕槌神(たけみかづちのかみ)の三柱で
厄除・学業成就・心願成就・家内安全・商売繁盛・大漁満足・縁結びに御利益があるとされる

100段の下には尺間大神が祀られ 社務所には霊山尺間獄本部の教務所とある
尺間神社は「霊峰尺間神社」で「霊山尺間獄」は別の宗教法人である また400段の下に位置する
尺間嶽中教院石鎚神社も尺間嶽開運講社という宗教法人が運営しており 尺間神社とは無縁である

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1.天狗岩 2.尺間大神 3.尺間神社 4.天見ヶ平展望台 5.400段 6.尺間嶽中教院本部 7.第二駐車場
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標高グラフ
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10:45 尺間スカイライン第一駐車場
尺間神社とは無関係という尺間大神の鳥居
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天狗岩まで階段が続く
不動明王がある手水場 これも無関係らしい
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湧水
10:53 奥に手水場がある
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これも無関係の石鎚神社尺間獄教の掲示板
11:03 分岐を左 天狗岩を経て山頂へ
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まだまだ続く階段道
11:10 天狗岩に到着
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登山道(参道)右頭上に天狗岩
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少し下る 天狗岩の裾を巻く道
100段を登ると尺間神社
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これは100段には入らない
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上に見えるのが尺間神社
尺間神社とは関係のない記念碑
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尺間大神の扁額
尺間大神拝殿
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100段の上に建つのが 霊峰尺間神社本宮 段の奥行きが狭く転げ落ちそうな急階段
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11:20 鳥居には「霊峰尺間神社」
社務所を抜けて拝殿へ
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時世には勝てず 耐久性抜群のナイロン製注連縄
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釈魔経「釈魔本願清明神業 自力一切思頼千業」 神社で経を唱えること自体が神仏習合
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標高645mの最高地点は本殿の中らしい 三角点は見当たらず 不動明王と護摩壇
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不動明王
傍らの御堂に大師像?と不動明王
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11:30 400段周りで下山開始
400段で下り林道を歩いて戻る
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参道の傍らにモノレール
平と言うほど広くはない天見ヶ平展望台
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佐伯湾・佐伯港・大入島 手前の道路は東九州道
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中央に標高639.4mの彦岳 右側に四浦半島の高平山 手前の岩場は展望所から尾根続きの場所
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PM2.5で掲示板ほどは見渡せない
恐怖を覚える急斜面の400段を降りる
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下から見上げる400段 実際は386段らしい
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尺間嶽中教院石鎚神社
分岐を左 第二駐車場へ出る道
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12:02 霊峰尺間神社参拝(400段)入り口 尺間神社の開門は午前9時30分 閉門は午後3時30分
台風・雪・雨の日は危険のため神社は休み 400段登りが危険であるという認識に基づく処置
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尺間スカイラインの霊峰尺間神社参詣駐車場(第二駐車場)
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尺間スカイライン(広域林道尺間山線)を第一駐車場まで歩く 
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12:32 第一駐車場に戻る
国木田独歩碑

国木田 独歩(くにきだ どっぽ)
明治4年(1871)生まれの小説家 敬虔なクリスチャンでジャーナリスト・編集者でもあった
明治26年(1893)10月 佐伯町の鶴谷学館に英語・数学の教師として21歳で赴任した
しかしクリスチャンであったことが災いして 田舎の人達と相容れず 翌年7月末には退職している
小説家や雑誌編集者として活躍するのはその後である 佐伯滞在中は精力的に行動し日記に記録した
明治41年6月23日 36歳の若さで神奈川県高座郡茅ケ崎村で結核によって病没

碑文
夕陽の美を山脈の頂きを道すがら、 眺めて真に自然の一なるを感ず。 未だ母たるを感ずる能はず。
山頂に人を宿す者、 二・三個あり勿論ふすぼれたる茅屋なれども尺間神社の信者は之に籠るなり。
吾等兄弟又た其の一に宿る。 宿に一眼を失ふたる女あり、只だ比二人のみ。
吾等爐辺に座し焔々燃へ上る火に対してむすびを喰らふ。 月を厳頭に眺む。 望むて極まる處を知らず。
下界只だ観る朦朧たり。 而して天上名月のあるあり。 身只だ自然の中にあるを感ず。(欺かざるの記)
国木田独歩全集 第六巻より

国木田独歩は 赴任早々の明治26年10月8日と11月18日の二回 尺間山に登り 二回目は彦岳まで縦走
上記の文章は二回目登山の尺間山頂に投宿したときの様子感動を記したものである

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