2019.05.22  天山(てんざん) 1046.1m

佐賀平野の北部小城市の北西にあり佐賀県のほぼ中央に位置する山 平頂峰で蛇紋岩からなる
東西4kmに及ぶ平坦な美しい草原は 県立自然公園に指定されている
また山頂は 小城町・多久市・唐津市・佐賀市の境にある 麓の小城市小城町晴気には天山神社があり
山頂の南8合目に天山神社上宮がある その上の標高996mのピークは雨山と呼ばれ雨乞い神事が行われる
天山は 佐賀平野西部のシンボル的山であり 信仰の山でもある
登山口・登山道も多いが 今回は高原歩きを楽しめる天山と彦岳の鞍部・七曲峠を起点とした往復である
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1.七曲峠四差路 2.県道290号線の登山口 3.天山々頂 4.雨山
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標高グラフ
自宅から七曲峠まで95.3km 高速利用で約1時間30分の距離
登山開始 8:30 山頂 10:10 下山開始 10:50 七曲峠 12:30
歩行距離:6.7km 所要時間:4時間
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七曲峠四差路 8:30
県道290号杉山小城線と登山口
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佐賀平野と有明海
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道の反対側に 小城町への下山道と彦岳縦走路
富士町・小城・天山登山道三叉路
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天山縦走路
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階段が続く
明るい尾根道に出る
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緩やかな尾根道
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標高850m地点 前方に見える標高993mのピークまで登れば 後は平坦路
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標高990m地点 まだ山頂は見えない
最後の上り坂か?
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天山々頂
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天山々頂とミヤマキリシマ
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なだらかな山頂
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山頂にある阿蘇惟直(あそ これなお)の墓
阿蘇惟直は 鎌倉末期から南北朝時代にかけて活躍した武将で 阿蘇氏9代当主として阿蘇大宮司を努めた
元弘3年(1333) 当初は幕命を受けて大阪河内の千早城攻めに参戦しようとしたが
後醍醐天皇の皇子・護良親王の命に従い討幕方へ寝返った しかし鎮西探題・北条英時の鎮圧を受けて失敗
建武3年(南朝:延元元年=1336)には 九州に落ちてきた足利尊氏を迎え撃ち
肥後の菊池氏・筑後の蒲池氏及び星野氏らと共に阿蘇一族を率いて 博多・多々良浜の戦いを優位に進めたが
菊池軍の大勢に寝返りが出たため総崩れとなり敗走した 元々菊池軍の大半は宮方有利の情勢を見て
日和見的に菊池武敏のもとに参戦したもので 確実に宮方と呼べるのは阿蘇惟直ぐらいであったとされる
阿蘇惟直は深傷を負い 三瀬峠を越えて肥後へ敗走するさなかに 追手に捕捉され阿蘇軍は壊滅
惟直は天山付近にて自害したと伝わる 自害に際し惟直は「阿蘇の煙が見えるところに埋葬してほしい」と
言い残したと伝わり 江戸末期以降の王政(南朝)復古主義により天山々頂に墓が建立されたもので
ここに阿蘇惟直の遺骸が埋葬されたという確証があるものではない
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有明海と佐賀平野
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佐賀県多久市南多久町下多久
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標高996mの雨山
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下山開始 10:50
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ミヤマキリシマ
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天山彦岳縦走路 標高845.2mの彦岳 その手前に821mの屏風岩を望む
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心と体が緑に染まる道
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頭上の翠(みどり)グリーンシャワー
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七曲峠への下り道 峠の先にある彦岳縦走路を見る
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富士町・小城・天山登山道三叉路
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県道290号杉山小城線 七曲峠四差路 12:30
川上峡春祭り 鯉のぼり
嘉瀬川上流に架かる官人橋の下流に市民から寄贈された約300匹の鯉のぼりが春風にそよぎ群舞する
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肥前国一之宮 與止日女神社(よどひめじんじゃ)
祭神の與止日女命(よどひめのみこと)は神功皇后の妹とされる また別説に豊玉姫であるとも伝わる
『肥前国風土記』による創建は 欽明天皇25年(564)とされ同書の説話から水神として祀られたとされる
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慶長13年(1608)建立 三の鳥居 鍋島藩初代藩主・鍋島勝茂寄進の肥前鳥居
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