2015.05.05 大分県中津市耶馬溪町大字川原口 犬ヶ岳(いぬがたけ) 標高 1130.8m

大分県中津市耶馬溪町大字川原口と福岡県豊前市大字求菩提の境に位置し 東西に延びる山容に
西側から一ノ岳(笹ノ宿)・二ノ岳・主峰(甕ノ尾)・三ノ岳(大日岳)の4つのピークがあり
尾根筋は 有名なツクシシャクナゲの群生地である 一般的には豊前市側から登山するが
中津市側からの登山コースは 豊前側に比べ登山客も少なく 急傾斜により短路である
国道212号線耶馬溪町柿木の津民入口三差路から大分県道2号豊前耶馬渓線に入り
最奥の相の原集落を過ぎるとY字路先の右手に登山口がある 車は路肩に駐車可能である
登山開始 08:45 山頂 11:06−11:45 下山 14:00

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1.相の原集落最奥の登山口 2.林道を右折 3.林道終点 4.笈吊峠 5.犬ヶ岳山頂
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標高グラフ
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8:45 犬ヶ岳登山口 右へ登山道
杉林の林道
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林道の標識に従い右折
林道の標識に従い林道を左折
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傾斜が強くなってきた林道 右折 
9:25 林道終点 これから山道
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明治期に営林署が自然石に彫った「山」印
標識となるケルンやテープにも注意して
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岩の上から根を張る大木
その上部に新緑の冠
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9:55 小さな枝尾根に取付き急坂を登る
10:03 笈吊峠は豊前側登山道と縦走路の四差路
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経読岳への縦走路
笈吊岩の迂回路説明 復路は迂回
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笈吊岩(おいつりいわ)
@のルートはかなり険しく過去に転落事故も存在する 無理をせずAのルートを選択する
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Aのルートは比較的易しい
復路に使う迂回路も急坂ではある
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ツクシシャクナゲ自生地の縦走路を歩く
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豊前石油コンビナート・豊前火力発電所の巨大煙突を遠望
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ブナの新緑
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山頂直下の広場大分県側・耶馬渓の山々
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あと一息で山頂
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犬ヶ岳山頂・甕ノ尾
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11:06 山頂の避難小屋は展望台も兼ねるが 樹木が展望を遮る
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「三角點」と書体も古い明治の物 三等三角点 標高 1130.82m 点名:犬ケ岳
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展望はあまりないが 木陰が清々しい山頂広場 11:45 下山開始

犬ヶ岳のツクシシャクナゲ
大分県中津市と福岡県豊前市の境に位置し 東西に延びる山容に
西側から一ノ岳(笹ノ宿)・二ノ岳・甕ノ尾(主峰)・三ノ岳(大日岳)の4つのピークがある
笈吊岩から山頂への尾根筋は 有名なツクシシャクナゲの群生地である
今期の開花状況は 4月の高温気候により花付が悪く数が少ない

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立ち枯れた樹木に寄生するシャクナゲ
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笈吊峠と犬ヶ岳のほぼ中間地点
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犬ヶ岳のツクシシャクナゲ自生地
ツクシシャクナゲはブナ林の下木で、露岩の多い尾根筋を好み、犬ヶ岳から笈吊峠にかけて自生しています。
犬ヶ岳のような樹齢を重ねたツクシシャクナゲの群落は全国的にも珍しく、
国の天然記念物に指定されています。
ツクシシャクナゲはシャクナゲの中で最も花が美しい種類と言われています。5月の連休の頃には
大型のピンクの花が咲き乱れ、まるでシャクナゲのトンネルの中を歩いているようで壮観です。
咲いた花は淡い色合いになりますが、つぼみは色も濃く趣があります。
環境省・福岡県

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笈吊峠から耶馬溪町側へ下山
14:00 駐車場所に戻る
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長岩城址パーキング
長岩城址のある古城ヶ鼻
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豊前国の守護職 宇都宮信房は、弟重房に下毛郡野仲郷を分与した。
重房は姓を野仲と改め、建久9年(1198)に長岩城を創築した。 以後野仲氏22代、390年間の居城となった。

この城は、高い山や深い谷窪岩壁等、天険の要害をとり入れ、石塁、砲座、塹壕等にて防備を補強した山城である。
20余ヶ所に点在する石塁の長さは、延700m余の長さに達する。 戦国時代の山城としては、
九州における最大規模のものであり、尚銃眼のある石積櫓は全国に類例を見ない貴重な文化遺跡である。

野仲氏は次第に勢力を拡大し、下毛郡の政治軍事を掌握し、凡そ400年間、下毛郡の統治者として栄えた。
全盛時代の所領支配は、宇佐郡、下毛郡の一部にまで拡大した。
その間、元寇の役や、玖珠城の戦、大友義鎭(宗麟)の来攻等で下毛郡の勇者としての強豪振りを発揮した。
然し天正16年(1588)には、後藤又兵衛を先陣とする黒田長政の精兵3千5百騎の大軍に攻められ、迎え討つ長岩軍は、
城主野仲兵庫守鎭兼以下一族郎党700余、与力雑兵八百800余、 合せ総勢1500余、難攻不落を誇った堅城に籠り
勇戦したが、多勢に無勢、遂に落城し、野仲一族は自決滅亡した。以後廃城となる。

多くの蛇がウヨウヨする畦道を渡り城戸口まで行ったが 登城にはかなりの時間を要するとあり断念する
蛇のいない秋冬に来た方が良いかも知れない しかし 石櫓への道筋は断崖上でかなり危険らしい

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