2018.11.29 滋賀県東近江市五個荘金堂町 五個荘金堂の町並み

日本遺産「琵琶湖とその水辺景観」構成資産 重要伝統的建造物群保存地区
東近江市 五個荘金堂
五個荘地区は、琵琶湖の東側、湖東平野のほぼ中央に位置します。
北に和田山、西に繖(きぬがさ)山(中世、近江守護佐々木六角氏の居城・観音寺城跡)、
南に箕作(みつくり)山の独立山塊に囲まれ、東を愛知(えち)川が流れ、
古代条里制の地割を受け継いだ平地が広がっています。
五個荘金堂の町割は、この条里制地割が基本となっています。
五個荘金堂は、江戸時代の貞享2年(1685)に大和郡山藩領となり、元禄6年(1693)に陣屋が置かれました。
陣屋の周囲には寺院が配され、それらを中心に集落が形成されていきました。また、集落の東端には
観音寺城の鬼門守護であったと伝わる大城神社が鎮座し、地区遠景の重要な要素になっています。
江戸時代後期以降、明治・大正・昭和初期にかけて、五個荘金堂は多くの近江商人を輩出しました。
彼らは、京都・大阪・東京などに出店を持ちましたが、郷里を離れることなく金堂に本宅を構えたため、
農家住宅と商人本宅が一体となった現在の町並みが形成されました。
五個荘金堂は、周囲に広がる農地の中に歴史的町並みが溶け込んだ、
湖東平野を代表する農村集落の景観をいまも伝えています。
東近江市教育委員会
地名の「金堂」は 聖徳太子が当地に金堂を建立したという伝承に由来している
現在の大城神社北東に八世紀創建と推定される金堂廃寺跡があり 地区中心部には聖徳太子開基の伝承をもつ
浄栄寺がある 大城神社の創建は金堂寺の鎮守社として建立された
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国の重要伝統的建造物群保存地区 五個荘金堂
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金堂まちなみ保存交流館 中江富十郎邸宅 二階は明治6年(1873)増築
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町並みパノラマ 左上の🅿は駐車場 印は「まちなみ保存交流館」
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小魚が泳ぐ側溝
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花筏通り
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近江商人屋敷 外村繁邸
宝袋の鬼瓦
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金堂陣屋跡
貞享2年(1683)に本多忠平が大和郡山藩主として入封した時、近江国内で四万石の所領が与えられました。
この内、蒲生・神崎・坂田三郡の所領を管理するため、金堂に陣屋が置かれました。
陣屋には、代官1名、手代2名、書役1〜2名が常駐し、郡山藩士が交代で在番して司法・行政を司っていました。
「神崎郡志稿」に収録されている陣屋の古図では、長屋門と塀に囲まれて、
役所・役宅と土蔵・牢屋・稲荷社があったことが判ります。明治5年に廃止され、
敷地は民家に払下げられましたが、長屋門は西側の勝徳寺に移築されています。
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祭・馬場通り
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金堂・馬場の五輪塔
在銘塔としては県下最古の五輪塔で「正安二季庚子二月日」の銘 正安2年は西暦1300年
総高197cmの七尺塔で ほぼ完全な形で遺る
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五個荘金堂自治会館も旧家の佇まい
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大城神社鳥居
日若宮
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午後2時 すでに夕暮れの感じがつきまとう
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大城神社拝殿
祭神は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)菅原道真の二柱 配神は伊邪那岐・天兒屋根命・武内宿彌の三柱
平安時代の嘉応2年(1170)に現在地へ遷宮し 天満天神・大梵天王・八幡大神を勧請して合祀
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安福寺
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寺前・鯉通り
掘割の錦鯉
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弘誓寺前の鯉通り
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舟板壁の家
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午後2時20分 このあと大阪和泉市まで行かなくてはならない
距離はわずか140.7kmだが 混雑する地域を通りラッシュ時間に遭遇するのは必然
結果 下道で5時間もかかってしまった 平均時速28km!
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