2018.11.28 兵庫県新温泉町湯 湯村温泉の散歩

当初の予定では 琴浦町の「波しぐれ三度笠」で朝日を見て すぐに鳥取城へ移動するはずが
神崎神社・鳴り石の浜・花見潟墓地と巡り 1時間半ほど余分な時間を費やしたため
鳥取市街は給油だけでスルーして 岩美町岩井の元岩井小学校へと向かう
岩井温泉の開湯は古く 平安時代初期の貞観元年(859)とされ 同時代の「八古湯」の一つに数えられている
古くは巨濃郡(こののこおり)と呼ばれ 郡家が所在したとする説があり 古代から中世にかけて岩井庄が
国境の要として重要視されていた また山陰街道の蒲生峠(標高約390m)下にあり古くから集落が形成され
特に江戸時代からは宿駅として栄えた 明治22年(1889)に温泉のある岩井宿を中心に周辺の村が合併し
岩井村となった 岩井の南3.5kmの荒金地区には古くから鉱山があり金や銀を産出していたが
明治30年(1897)新たに埋蔵量の大きい銅鉱脈が見つかり鉱山の規模が拡大された
明治43年(1910)には山陰本線が開通し岩美駅が出来 二年後には岩美駅から恩志まで短絡路が開通した
大正15年(1926)岩美駅から温泉まで軽便鉄道が開通し 鉱山のある荒金まで専用道として延伸された
軽便線の岩井町営軌道は昭和18年の鳥取地震により休止を余儀なくされ 鉱山の掘削も不可能となった
温泉客も平成バブル期にピークを迎え その後減少に転じている
鳥取県岩美町大字岩井 元岩井小学校舎
岩井小学校は明治5年8月の学制頒布にともない、翌6年9月22日に創立された。
この校舎は明治25年8月、岩井尋常小学校と改称された時、現在地に新築されたもので、
中央部に玄関ポーチを附し、左右対称の均斉のとれた正面外観をもつ。
外壁の下見板、上げ下げ窓、胴蛇腹持送り、軒ようらく飾り、玄関ポーチのオーダー柱、二階ベランダ、
ラウンジの手料、軒蛇腹などに洋風が導入される一方、正面入母屋破風、背面外観、内部間仕切、小屋組などには
和風構造技術が踏襲された、いわゆる擬洋風建築であり、とくに正面外観意匠には、
進取的に洋風技術をはかった大エと棟梁の豊かな創造性と腐心の跡がうかがわれる。
現在内部は改造されているが、元は一、二階とも片廊下式で、それぞれ二教室と校長室、職員室を配していた。
なお建物は小規模校舎ではあるが、明治時代の洋風学校建築としては、県下唯一の遺構であり、
明治初期の擬洋風建築の系統をひく、数少ない建物として極めて貴重である。
昭和50年8月11日、岩美町保護文化財に指定された。
img
下の道路から見た様子では 建造物の傷みがかなり激しい
img
正面全景
img
img
img
玄関ポーチ
img
床や廊下の壁・廊下の窓もない内部は 校舎の面影がまったくない
img
img
img
imgimg
裏側の二階窓
かつて旅館として使用?
img
img
img
岩井温泉から湯村温泉まで約17km・車で25分の距離である 県境の蒲生峠は 古くは但馬国と因幡国との
国境であり難所でもあった かつての国道は蕪島村から千谷村に抜ける峠越えのルートであったが
昭和53年(1978)に 全長1745mの蒲生トンネルを含む蒲生バイパスが開通し 距離も4km短縮された
バイパス開通後の峠道は県道に それより以前の旧街道ルートは国の史跡となり
文化庁主宰・歴史の道百選に選ばれ「山陰道蒲生峠越」として整備されている
兵庫県新温泉町湯 湯村温泉
岩井温泉と同じ 平安時代初期の嘉祥元年(848)開湯という歴史ある温泉
古くは但馬国二方郡温泉郷湯村で 江戸時代は天領であった
温泉への依存度は高く 旧町名が温泉町 平成大合併後の新しい町名が新温泉町で字名が「湯」である
昭和56年(1981)吉永小百合主演のNHKドラマ「夢千代日記」のロケ地として有名になった
「湯けむりの郷」と称される風情が全国に知られ 以降は「夢千代の里」と称することが多くなった
高温の温泉が吹き出す「荒湯」を中心として 春来川沿いに温泉街が広がる
<湯のまち湯村散策絵図>
img
1.薬師湯 2.文助井戸 3.足湯 4.荒湯 5.夢千代像 6.荒湯天狗 7.湯村大師堂 8.薬師堂
img
日帰り温泉施設 湯村温泉観光交流センター・薬師湯
元は荒湯のすぐ近くにあったが老巧化のため 平成20年(2008)100mほど離れた現在地の旧温泉町役場跡地に
移転改築された 荘厳な唐破風をもつ木造(一部鉄筋コンクリート)2階建てで 47台収容の駐車場も併設
源泉は荒湯と株湯の混合泉 無色透明・無臭・無味でナトリウム・炭酸水素塩・塩化物を含有する硫酸塩泉
泉温は79.7℃の高温 湧出量が毎分490リットルもあり 正真正銘・浴槽から溢れ出す源泉かけ流しである
営業時間:7:00〜22:30(受付終了22:00) 休館日:毎月15日 利用料金:町外者・大人500円
駐車場料金は 薬師湯利用に限り2時間まで無料となるため残る時間で温泉街を散策する
imgimg
夢千代橋
街角ギャラリー 飛び出す三輪トラック
imgimg
えびす像とアオギリの湯(足湯)
夢千代館
img
湯村温泉の名店・ゆむら屋前から北向き
imgimg
残念 ゆむら屋は定休日
文助井戸

文助井戸
明治の中期 中井文助が良質の水が湧き出る井戸を二ヶ所掘り当て 飲料水に困っていた向町の人々に
開放した また向町の造り酒屋が明治大正間に仕込み水として利用した
昭和27年に上水道が出来るまでの約60年間 この井戸の恩恵を受けたとされる
img
文助井戸の前から南向き
img
三界萬霊塔と三体の仏像を祀る辻堂
img
春来川
荒湯
嘉祥元年(848)に慈覚大師が発見したとされる源泉で 今でも98度の熱湯が毎分470リットルも湧出している
近くの店で卵や野菜・芋などを購入し 荒湯の湯壺を使って茹でる事ができる
荒湯のそばを流れる春来川沿いには「ふれあいの湯」とも呼ばれる足湯が三か所設けられ
ベンチに腰かけて足を温泉に浸しながら 茹で上がった品物を食べることが出来る
img
img
img
手前の湯壷には番号が振られている 卵は11分程度で茹卵になる
img
荒湯地蔵尊
卵が茹で上がるまで 森下橋西詰にある夢千代像を見に行く
imgimg
夢千代像 正面よりも左前から見たほうが吉永小百合に似ている
img
森下橋上から春来川
img
荒湯と「ふれあいの湯」(足湯)
img
imgimg
ふれあいの湯 テーブルも欲しい
商売繁盛 荒湯天狗

商売繁盛『荒湯 天狗』
8月の湯村の火祭りの天狗、9月の八幡神社の秋祭りの天狗と、その昔から湯村と天狗は深い関わりがあった。
この荒湯天狗は、山峡に立ち昇る湯けむりが温泉情緒をかもし出す湯村のシンボル『荒湯』と、
祭事で伝承される湯村の『天狗』の結びつきから誕生した。
"ここに荒湯天狗様をお迎えし、平成の世を平らけさせ、商い繁盛を祈願し荒湯天狗様にかしこみ、かしこみ申~す"
で始まる荒湯天狗まつりは、天狗御輿を引き回し商売繁盛を祈願する新しい祭りで、
毎年7月第3土曜日に湯村温泉街で盛大に開催される。また、腰の大福帳と鼻にさわれば
商売繁盛の御利益倍増といわれている。
img
本町通り
imgimg
大師堂橋
湯村大師堂
img
左は三好屋清山荘の南館 屋根付き橋は本館と南館をつなぐ橋 大師堂は三好屋の敷地内にある
img
湯村温泉随一の旅館 朝野屋・朝野家の通用門
imgimg
<左上>昔ながらの夢小路 八幡神社参道をまっすぐ下ると この小路を通り荒湯に出る
<右上>ポケットパークの株湯 湯村49箇所の源泉のひとつ 毎分300リットルの湧出量で98℃の温泉が
静かに湧出し 薬師湯とリフレッシュパークの源泉となっている ここは旧薬師湯のあった場所でもある
湯村全体では 毎分2200リットルの温泉が湧出し 約500世帯に温泉を配湯しており
蛇口をひねると約60℃の湯がいつでも使用できる
img
ポケットパークにある慈覚大師の像と温泉のモニュメント
慈覚大師は 天台宗の僧で円仁(えんにん)という 延暦13年(794)に下野国で生まれ15歳で出家
天台宗延暦寺に上り最澄に師事する 承和5年(838)に唐に渡り 承和14年(847)博多津に帰国した
湯村温泉の発見は 翌・嘉祥元年(848)である 仁寿4年(854)第3代延暦寺座主に任命された
img
14:25 但馬杜氏の技法を伝える「杜氏館」
散策を初めて1時間になる 入浴時間を入れると駐車時間のタイムリミットも近い
薬師堂と八幡神社は またの機会とし先を急ぐ 今日の宿泊予定は福井県の「道の駅・若狭熊川宿」
ここからの 距離は174kmもある 若狭小浜で買い物を済ませて道の駅到着時刻は 18:30 であった
TOP