2010.08.19  高野山

奈良の王寺から高田・葛城・御所を経て 橋本から高野山に登る
奈良県御所市鴨神 高鴨神社
社伝によれば 約3千年前の弥生時代中期より祭祀を行う日本最古の社のひとつとされ
社殿の創建は第五代孝昭天皇の頃と記載されるが伝説の域を出ない 現社殿は室町期の天文12年(1543)の
再建で 大正9年(1920)に解体大修理が行われ 貴重な建造物であることが判明し
国の重要文化財に指定された 大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命(タキリビメ)の間に生まれた
子阿遅志貴高日子根命(アヂスキタカヒコネ)を主祭神とし配神に下照比売命と天稚彦命を合祀するが
主祭神以外については異説が多い この辺りは鴨氏一族の発祥の地であり その氏神として祀られたもので
京の賀茂神社(上賀茂社・下鴨社)を始めとする全国の「かも(鴨・賀茂・加茂)神社」の総宮とされる
鴨氏はこの丘陵地から奈良盆地に勢力を伸ばし 鴨都波神社と葛木御歳神社を新たに祭祀した後
高鴨神社を上鴨社・御歳神社を中鴨社・鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになった
因みに役の小角(役の行者)は 加茂氏(賀茂氏)出身である
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高鴨神社拝殿
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幽玄な神池
和歌山県高野町高野山 高野山
「高野山」という名の単独峰は存在せず 一般的に今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山
摩尼山の「八葉の峰」と呼ばれるに山々囲まれた盆地状の平地を指す
また 東北に位置する転軸山・楊柳山・摩尼山の三山を高野三山と称する
平安時代の弘仁7年(816)に嵯峨天皇から空海(弘法大師は諡・俗名は佐伯 真魚)がこの地を下賜され
翌年 泰範や実恵ら弟子を高野山に派遣 弘仁10年(819)の春 七里四方に結界を結び 伽藍建立に着手し
真言密教の道場として開いた聖地である 現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心として
高野山 真言宗総本山 金剛峯寺・大本山宝寿院のほかに 子院が117ヶ寺ありその約半数が宿坊を兼ねている
半世紀以上前の小学生の頃 高学年で行われる夏休み期間中の林間学校は ここ高野山か吉野であった
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奥の院 御廟橋
奥の院一の橋から聖廟橋まで1.5kmの参道には 皇室・公家・大名などの墓が多く並び その総数はおよそ
20万余基はあると言われる 戦国大名の6割以上が埋葬墓とは別にここに墓石を構えている
御廟橋の先には灯籠堂があり その裏に空海の御廟がある
空海自身の説では 死後は「無」であり 死に際して亡骸を祀ってはならないと言ったといわれる
真済(800-860 空海の弟子・24歳という若さで阿闍梨となる)が著わした『空海僧都伝』によれば
空海の死因は病死であり 他書『続日本後紀』では遺体は荼毘に付されたと記載されている
しかし 残された弟子達には感情的にも到底実現できなかったのであろうと思われ 没後100年頃には
入定したとする文献が現れ 後の世では一般的に空海は肉身を留めて入定していると信じられるようになった
現在でも 高野山奥の院霊廟には現在も空海が生きながら禅定を続けているとされ 霊廟でありながら
今でも維那と呼ばれる仕侍僧が 衣服と二時の食事を給仕し続けている
宗教とは摩訶不思議なものである 橋を渡れば聖域で写真撮影は不可となる
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擬宝珠に寶永八卯年(1711)三月廿日(3月20日)架橋の石橋がある宿坊・清浄心院
宿坊といえども旅館業として登録 地図にはホテルマーク JTB協定旅館の看板も掲げられる
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西門院の美しい山門
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金剛三昧院 国宝 多宝塔
金剛三昧院は 鎌倉時代の建暦元年(1211)に 北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建
多宝塔は 貞応2年(1223)の建立 檜皮葺 高さ14.9m 石山寺塔に次ぎ日本で2番目に古い多宝塔
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壇上伽藍 御影堂(みえどう)
大師の持仏堂として創建され 弘化4年(1847)に再建され 真如親王直筆の大師御影像を本尊とする
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壇上伽藍 西塔
平安時代の仁和3年(887)創建 現在の塔は5代目で天保5年(1834)の再建である 高さ27.27m
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壇上伽藍 善女龍王社の橋
天長元年(824)に西寺と東寺が京の神泉苑で雨乞いの法を競い
善女竜王を祀った東寺の空海が勝ったことから 雨乞いの神・守護神として
空海と共に高野山へ勧請された かつて高野山で祈雨の法を行う時には金堂に善女龍王の軸を掛けて
祈願し もし効験がない時には一山の僧が大瀧に行って修法を行った
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国の重要文化財 大門
高野山全体の総門 宝永2年(1705)再建 五間三戸(さんこ)の二階二層門 高さは25.1m
和歌山県かつらぎ町上天野  丹生都比売神社
旧官幣大社 紀伊国一宮 別名・天野大社又は天野四所明神
日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社である 高野山金剛峯寺と関係の深い神社であり
2004年7月「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として 世界遺産に登録された
丹は朱砂(朱色の硫化水銀)のことであり それを産出する所を「丹生」といった
朱砂はそのまま朱色の顔料となり神社仏閣建築には必要不可欠の塗防腐料で 精製すると水銀となる
古墳時代に置いては石棺の中に入れて防腐剤として用いられた
主祭神の丹生都比売大神は 朱砂を採掘する一族が祀る神であると考えられている
空海が高野山金剛峯寺を開く際に神領の一部を寄進したと伝えられ 高野山の鎮守神とされた
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